大八洲の一島対馬 神社参拝のすすめ

私が対馬に行く前、知人に対馬の話を聞いた。その時、今韓国人がこの島を占領しようとか、実際に土地を買い占めて実質占領されかねないなどという話があった時、知人は、

「あの島は絶対に日本文明のために必要な島だ。蹂躙されるようなことがあってはならない。行けば言っていることの意味が分かると思うよ。」

そう言われたが、行ってみてその意味が分かった。古代から半島からの侵攻に備えてさまざまな祭祀も行われたであろうし、古代から台湾から九州一帯を制した海人族綿津見一族の北端の拠点があった対馬は日本文明の重要拠点である。

古事記にも記されている大八洲の中の一島でもある。

今、韓国人観光客が激減し島民の生活は窮しているかもしれないが、今こそ日本人はこの島の重要性を深く認識すべきだという思いを込めて、対馬の神社案内を書こうと思う。

以下、私が参拝した神社の中で特に記憶に残ったものを挙げておく。

那租師神社・若宮神社 対馬北端の比田勝付近にある。素戔嗚とその子五十猛が祭神。由緒によれば、二人は、ここから朝鮮半島に渡り経営を行ったという。

対馬国一之宮 海神神社 その名の通り対馬国の一宮。この神社は交通の便が悪いこともあり、参拝客は少ない。また神社周辺の自然環境、また付近に小さな漁村があるが、それらを含め、日本国内でも屈指の名勝である。私はこの神社とその周辺を散策した記憶が忘れられない。

和多都美神社 彦火々出見尊(山幸彦)と豊玉姫が婚姻した場所であるとも。彦火々出見尊は対馬で三年暮らしたという。豊玉姫の父神は大海神(大綿津見神)。海人族。湾内に鳥居が複数あり、その奥の地上に本殿がある。台湾から対馬までの湾岸一帯を支配した海人族の拠点。本殿裏に豊玉姫も墳墓とされる一角がある。

多久頭魂神社 対馬の土地神多久頭神が大本の祭神である。この神社も極めて交通の便が悪いせいか参拝者は少ない。しかし、この神社の神秘性は特筆できる。根源的な神社の様相をそのまま伝える極めて希有な神社の一つ。この神社を一度訪れたものはその空気感や光景を忘れることはできないだろう。あまり観光地化して欲しくないので公にしたくはないのだが、今回ご案内しておく。

鴨居瀬 住吉神社 由緒によれば、この地に山幸彦と豊玉姫の住居があったという。とても小さな漁港の中心に鎮座しており、岸壁から湾に向かって鳥居が立っている。大きな神社ではないが、私はこれほど美しい神社を見た記憶がないと思ったほど神秘的で魅力ある風景の中心に位置する神社である。この神社に来た時、私はまた対馬に来たいと思った。一宮の海神神社の時もそうだったが。この神社もあまり観光地化して欲しくないので、公開したくなかった神社の一つである。

小茂田濱神社 元寇の時、元・高麗連合軍が上陸した場所。そこに神社があり、対馬軍の戦死者を祭神とする神社。

この他、島の中心部厳原にある宗氏の墓所は神社ではないが、非常に美しく立派なもので訪れる価値がある。墓所付近には厳原八幡神社もありこれもなかなかのものだ。それから、三韓征伐で神功皇后に従軍した雷大臣命を祀る太祝詞神社など。

これ以外にも多くの神社があるが、私の行っていないところで、注目すべきは、天神多久頭魂神社という神社。恐らくこの神社も非常に良いものだろう。社殿がなく、神籬磐境祭祀遺跡のような場所にあるとのこと。

天智天皇の御代に白村江の戦いで日本軍が敗れて後、日本最古の山城と言われる金田城が対馬に築城された。これも私は行く時間がなかったが、史蹟としての価値が高い。言わば防人の最前線である。

最後に、日露戦争の時に、日本海海戦が対馬海峡にて行われたが、撃滅されたロシア艦隊の将兵達が対馬に流れ着いてきたのを地元の漁民がこれを助けたという場所に碑がある。殿崎国定公園というが、戦時、地元の漁民はここから戦況を見守っていたという。

(写真1~3枚目 鴨居瀬住吉神社、4~6枚目 対馬國一宮海神神社、7~9枚目 和多都美神社)

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