現代文明の根幹にはユダヤ・キリスト教的な旧約世界観が反映されていると書いた。
旧約世界が表現していることは簡単に言えば「神話」であり、現代の科学者が言うならば、それは「単なるおとぎ話」に過ぎない。
その非常に「非科学的」で「シンプル」な話を徹底的に深堀りしたのが彼等(ユダヤ・キリスト教文明の担い手達)だと言えよう。
どれほど複雑で高度なものも、その根幹は常に極めてシンプルで「非科学的」なものだ。
そのシンプルなテーマを徹底的に深く掘り下げ洞察を加え続ける。
その何万、何十万という小さな積み重ねが数年、数十年、数百年継続した結果が、今日の社会だと言える。
「そのシンプルな根幹がどうあるのか。いかなるものか」
これが最も重要である。
そのシンプルな根源にあるものが、ユダヤ・キリスト教的な唯一神教的な主観的で、縦軸の直線的な、一方向的なプロットなのか、あるいは、日本文明が持つ全体調和的な、並列的、俯瞰的な八百万の神々のプロットかはとてつもなく大きな違いであり、最大に重要なファクターだと言える。
日本人である以上、あるいはこの文明の織り成す世界に暮らしている以上、それを徹底的に洞察し続けることが重要だ。
少なくとも、ユダヤ人はそうした。
彼等には「国土」がなかった。だから、旧約聖書という文字の世界の中でそれを徹底的に極めた。それを後の欧州人やアラブ人も踏襲したのである。
我々もその「深堀り」と「洞察力」の執念には大いに学ぶべきである。
そこにこそ直観と霊感は降る。
極言すればそこにしか「真の霊感」「真理」は降らない。

