家の歴史などを見たり、自分の歴史などを見たり、あるいはもっと一般的な歴史について考える時、血統というのは重視される要素の一つだ。

一方で養子に入ることで家を継続させるのは、資産の保持であったり、なにがしかの職掌や能力、技術などを引き継ぐために行われる手段として考えられることが一般的。

養子の場合、血統は途絶えるが、それでその「流れの本流」が途絶えない場合もあるように感じることがある。それはその人物がそこと霊的に深いつながりを得て、血のつながりのある血族と同等か場合によってそれ以上にその核心部分を引き継ぐことがあることによるのだと考えられる。

血統はなくなるが霊統は引き継がれているということになる。

また、ある地域に居住してその地域で暮らすということは、その地域の霊的な影響下に入ることでもある。

こういう場合も、その人物や先祖がもともとそこに居住していなかったとしても霊的にその地域の核心部分を引き継ぐ役割をする人もいるだろう。

直近の先祖とその地域に関係なかったとしても古代まで遡る中で繋がりを見出す場合もあるだろう。

なぜ、その人がその家に入るのか、あるいはなぜその人がその場所に暮らすことになるのか。これは血統だけでなく、自らの個人的な魂の状況にも関係している。

魂は肉体とは不即不離ではない。血と魂は必ずしも不即不離ではないということだ。

自分と、それをとりまく社会や歴史を考えていく場合、血統、霊統、個人的な魂の状況(前世)を見ていくとよい。

さらに、同じ血族同志でも全て同じ先祖の影響下にあるわけではない。

血族でも個人によって違いがあり、それぞれ向いている方向が違う場合も多い。

太郎と次郎という兄弟がいる。太郎は父方の曽祖父の三郎と霊的意識的に密接な関わりのある人物である。一方、次郎は母方の祖母と密接な霊的意識的な関わりをもつ人物である、というように。

同じ血族でも個人によって全く資質や思考や価値観が違うのはそういうことが極めて深く関わっているだろう。

そのような差がどうして生まれるのかをさらに深く観察していくと、個々人の魂の状況によってそれが生じていることがわかる。

ある人が、その家の、その人物と深く関わるという形でこの世に生を受けるのだと考えてよいだろう。

人間の在り方、さまざまな歴史、自分とは何かについて考えていく場合には、このような三つの要素、血、霊、魂について考えると、うまく整理できるだろう。

このような価値意識を身につけると、近代以降の、西洋的な、浅薄なレベルでの平等の観念などがいかに幼稚なものだとわかるようになるはずである。

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