今世界も日本もあるいは私たちの日常も含め、とてつもない変動の最中にある。

心が虚しい。心に満たされないものがある。何か決定的な欠落感があって、心が、あるいは自らがさまよっている。

そういう状況に今あったとしたら。

そういう「部分」が自分の中に今あるのだとしたら。その感覚はかなり正しいと思って良いのではないか。

私たちの心の隙間を満たしてくれるものは何か。

どれだけつたない努力であったとしても、人と人とがつながっていくことでとりあえず、自分の中の何かが納得できる世界。

そういうものを目指していくことの必要性。

どれだけ多くの人と繋がっても虚しいと感じることもあるかもしれない。

愛する家族と常に時間を共有していても、「私」自身は心の隙間を埋めることができないと感じているのかもしれない。

確かに、人と繋がるということは自分が生きていることの「証」のようなものでしかないだろう。

しかし、それがどれほどささやかであったとしても、その繋がりの連続の中で「私」はそれまでの「自分」のその先にある「生きている意味」「生まれてきたことの意味」を多少なりとも見出すことができるだろう。

私たちは「日本人」である。

日本人は、古代から現在までの連続性の中に「生かされている」存在だ。

我々は、その「ひとつぶ」の魂の中で、それをしっかりとはぐくむ。

そしてさらに大きな「恵」のための「ひとつぶ」となるべきだ。

そもそも人間とはそういうものだ。

「ひとつぶ」でしかないが、その「ひとつぶ」は「無限」である。

その「確信」。それが「確信」である。

人間として、そして「日本人」として生きていることのゆるぎない確信。

それが少なくとも30%の「日本人」の中に宿れば。この国は世界にこれからの文明の「規範」となるものを与えることができる。

日本の神々と共に生きていることの意義。

神々の中にいずれ溶け込んでいくことへの願いの中で、我々日本人としての「存在意義」を見出す。

それが「日本人」として生まれ、そして生きていくことの最大の価値。

それを認められないとしたなら、その人はとても「気の毒」な人であり、その人がなぜ日本人として生まれ生きていかなければならないのかについて大いなる疑問と苦悩をもたらすことになるのではないか。

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