この歳になって思うことは、人はいずれ死ぬのになぜ死ぬことが目前にせまると恐れるのだろうということだ。人は基本死なないというなら話は別だ。確かに生きていたいというのは生き物の本能だが、人間には意識というものがある。

それが葛藤になり、人間とは何かとか、生きるということには何の意味があるのだろうかとか誰しも一度は考えるだろう。それは人間だけの話で人間以外の全ての生き物は「自然」と何の矛盾なく生きており、存在している。人間だけが「自然」と矛盾する存在だと言ってもいいかもしれない。

40代くらいまでは、とにかく生きて、あれもしたい、これもしたい、これをしなくてはならない、あれをしなければ死ねない、などと考えるだろう。

50代を過ぎると、自分の人間としての限界が見えてくる。生よりも死の方がだんだん近くなってくる。そうなるとこれまで「なんでもできる」と思っていたイケイケドンドンの気持ちに陰りがさす。

そうなった時改めて考える。人間とは何か。生きると言うことの意味は何なのか。オレは何がしたかったのか。これから残された時間にオレに何ができるのだろうか。

ただ意味もなく、だらだらと弱りながら虚しく長生きするということにどれだけの意味があるのだろう。そう考えた時、過去の日本の歴史に生きた人達のフレーズが心に浮かんだ。

「おい貴様。靖国で会おう!」

そう晴れやかに語っていた人たち。戦後の左翼はそれを悲劇的に伝えるが、そうだろうか?では長生きして醜く晩年をさらした左翼の論客の人生はそんなに素晴らしいものだっただろうか。

人は必ず死ぬ。

だとすればどう生きるか。いずれ死ぬという前提で考えた時、自分の命をかける瞬間がある人間こそ最高の人生を生きたと考えるべきではないのか。

死に急ぐことを推奨しているのでは全くない。いずれ死ぬことが必定であるという前提としての人の人生がいかにあるべきかということについては各人の人生に応じてよく考えるべきではないかという気がしている。

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