南朝方の新田義興公(新田義貞の次男)が矢口の渡にて襲撃され、この地に埋葬された。その後義興公を裏切った者達が相次いで狂死したり、墳墓周辺で奇変が度々起こったため当地に社殿を建立し祀られることになったと由緒にある。

社殿後方には義興公の墳墓がある。社内は非常に美しく整備されており発展しているようだ。
7年ほど前に参拝する機会があったが当時に比べて参拝者や支援者が増えたようで整備が進んでいるように見えた。

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