ブッダは王家に生まれて何不自由ない生活をしていたが、ある日外を歩いているうち、人間の苦について思いついた。生老病死(四苦)。生まれ、老い、病を患い、死を迎えるという苦しみからは決して人は免れない。

そこでついに人であることに嫌気がさしたのだろう。人として生きることの虚無の極致。そして、ここから脱する方法を自ら模索し始めた。

ブッダという人にはある意味かなり悲観主義的な側面を感じる。しかし、今でもインドへ行き、あの混沌とした状況を見ればそう感じる人もいるのかもしれない。

井川意高さんという人がいる。

大企業の御曹司として生まれ、頭脳明晰で才覚に恵まれ、人として何不自由ない生活を送っているように見える。彼がギャンブルにはまり100億失ったというのは、彼の中のニヒリズムからなんだろうが、仕事もそつなくこなし、欲しいものを何でも手に入れて、食べたいものを食べ、酒を飲み、女を抱きたいだけ抱いて、その先に何か虚しさのようなものを感じたのかもしれない。

社会を見れば政治も腐っている。いい加減世の中に対してバカバカしさや虚しさを感じ、そこから逃れる手段としてギャンブルに熱中した。もうそのくらいしか生きていて楽しいと感じるものがなくなっていたのではないか。(ここで彼の語っている政治信条とか語っている内容について是非を問うつもりはない。)

こういう人はブッダのようになるチャンスのある人だと思う。ただ、彼がブッダになるとか神になるとかという意味ではない。そういう芽を持っているという意味。しかし、彼にとって何が良いとか悪いとかを他人がとやかく言うことでもない。彼は彼のしたいことをして人生を送るだろう。

宗教的なことを書くというのは非常に難しいことだ。

間違って解釈する人や脅迫観念に捉えられる人もいる。

例えば人が輪廻転生するとして。

もっと人間として楽しみたい。もっと金が欲しい。異性が欲しい。あれがしたいこれがしたい。次は何に生まれたい。

そういう考え方自体人として基本当然のことだし、人は結局自分がしたいことがしたいし、そもそも人は自分が欲すること以外のことはしないだろう。人によってさまざまなプロセスと状況があり、それに上下高低はない。

多くの人が同じ空間を共有していても時間軸は同じではない。

全ての人が「解脱」を目指す必要もなければ、神の領域に入ることを探求する必要もない。ましてや、そうしなければならないなどという話でもない。

自分がそれに興味を持ち、欲すればそれを行えばよいし、さまざまな人の話を参考にすれば良いのではないか。

自分もそうだ。

自分の人生を決めるのは自分自身以外にない。

何にしても、人に依存することは結果自分の人生の時間を無駄にすることになる。

人に依存して生きることこそ虚無主義というべきである。

Exit mobile version