現代人あるいは現代社会における自我(個人)の目覚めとその意識の拡大に西洋思想が大きく関わっていることは間違いないが、自我の拡大が人類社会に与えたものの影響は、良い面よりは悪い面の方がはるかに目につく。
「病んだ女子アナの板に誹謗中傷のコメント書いてスッキリしたよ。」
というのは下らない話のように見えるがこれも人の自我のなせる業。実際これは、人間の自我の拡大による「成果」の多くを象徴している。所詮この程度の自我の目覚めでしかないのなら、私は神に人の自我の剥奪を求めたい。
人が動物や子供に癒しや愛情を求めるのは、彼らに自我が希薄であり、彼らの生きざまが自然と一体化して矛盾がないからだろう。彼らにとって生きることは幸でも不幸でもなく、ただ生きる。その有り様は潔く美しい。一方、現代人の醜悪さは目に余る。その醜悪さの原因が元をただせば人の自我意識の拡大にあると言うのは言い過ぎではないだろう。
旧約聖書によれば、禁断の果実を食べた人間(イブとアダム)に与えられたものは「善悪の知識」という「罰」であった。そのような教えに支えられた文明社会が自我の目覚めを強く訴える思想を世に出したというのは皮肉な話である。
(写真:『人間の堕落のあるエデンの園』(ルーベンス、ヤン・ブリューゲル画)wikiより)

