神は人が望むものを与える なぜ一神教は多神教を駆逐したのか?
なぜ一神教が、多神教世界であった地中海世界を席捲したのか。これは私にとっての大きな謎であり、当然ながら多くの人々にとってもそうであろう。
多神教世界。メソポタミアに始まり、エジプト、ギリシャ・ローマにいたるこれらの文明を見ていけば明らかなことであるが、その後に訪れる一神教文明に比べてはるかに大らかで陽気で明るい。まばゆい太陽の如く。
それがなぜあの暗く、陰鬱で、凄惨な一神教にその地位を奪われたのか。
「あなたの神、主が嗣業(主によって分け与えられ受け継ぐべき財産、特に土地)として与えられるこれらの民の町々では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。」(申命記第20章16節)
他の神々を一切認めず、他の神々を信じるものを皆殺しにせよと命令しさえする神とはいかなる神であろう。驚くべき傲慢神であり、狂神であり、異常神ではないのか。よくよく考えてみるとそういう気がしてくるのである。
「息のある者をひとりも生かしておいてはならない」
十戒にもある通り、神と契約を交わした者同士で殺人を犯すことは罪であるが、神が命じれば、虐殺も罪とはならない。
人が死後どうなるか、あるいは人の命がどんな人生を歩むかは神が決めることであって人が決めることではないが、契約を交わしていない人は人にあらず。殺しも罪にはならない。むしろ殺さなければ罪となることもあるだろう。
ローマ教皇が死刑の全廃を訴えるのは神の意にかなっているのである。人の生き死には神が決めることであり、神が命じれば殺人も罪ではないのだから。おそらくこれは真意だろう。もちろん信者にそんなことを言うわけないだろうが。
ユダヤの民がユダヤ教を産み出すプロセスを見ると、彼等の当時の歴史をみなければならない。彼等は長く奴隷民であった。他民族の奴隷として抑圧された生活を送る中で自らの人生に救いを求める在り方としてユダヤ教は生まれたと言えるだろう。
一神教の神への徹底した隷従隷属の姿勢は、そんな彼等の日常における、魂の有り様をなぞったものであるに違いない。
ニーチェはキリスト教を奴隷の宗教であると言った。絶対的に救われることのない境遇、絶対的な弱者としての自らの日常における唯一の救い。そのような人々のための宗教であると。
あなたがわたしに全てを捧げるのであれば、やがて神の救いを得るであろう。
隷従と救済。たとえ人の奴隷となろうとも、私の魂はあなたの奴隷となります。
こういうことである。
シュメール文明に奴隷があったかどうかは分からない。
しかしその後のバビロニアにおける世界最古の法典、ハムラビ法典には奴隷の規定があり、以降、エジプトからギリシャ・ローマにいたるまで地中海世界には奴隷制度が存在した。
これらの多神教文明がなぜ陰鬱で不寛容で強圧的な一神教文明に駆逐されてしまったのか。
これはまだまだ私も考察を進めているところであるが、恐らくのその要因の一つに、奴隷制度が密接に関わっていることは疑いがない。
一神教の伝播と多神教の消滅に従って、奴隷制度は終息したかに見えるからである。(やがて植民地帝国主義があこると彼らは再び奴隷制度を復活することになるのだが)
『神は人が望むものを与える』
一神教における魂の隷従という理も、また人が神に望んだ結果、神によって与えられたものに過ぎない。
人が望まなければ、それは起こらないのである。
人の魂に奴隷となることを望み、奴隷を求める心が起こる限り、一神教もまた起こると言うことだ。
ひるがえって、日本はどうか?
歴史上、奴隷制度というものを経験していない。職掌における身分の固定化とそれに伴う差別の問題はあったにせよ。
だから人は魂の自由を享受し得たと言えるだろう。
日本文明に一神教文明は不要であり、むしろその次の在り方を示唆する文明であろう。(あるいは、そうなるべきであろう)
私は確信している。
本来あるべき姿とは、ユダヤ・キリスト・イスラムの神をも含めた多神教文明こそがあるべき姿であると。
一神教文明とその周辺に生きる人々の魂が解放される時、彼らは「聖書」から自らを解き放ち、真に神々と神との繋がりを得るに違いない。
それこそが彼等の言う約束の地であり千年王国の成立する時であろうと。
それは同時に「聖書」がその役目を終える時でもある。
そのきっかけとして、日本文明が関わら『ねばならない』と、
私は確信を深めている。
(写真:トーラー from wiki)
日本とギリシャ・ローマ社会との酷似性について
ポンペイは人口1万人。イタリア南部に位置し、ローマ帝国の植民都市であった頃、火山噴火によって一瞬にして消滅した。紀元前79年のことである。
町の歴史は紀元前700年頃からあるが、ローマに占領されたのは、紀元前89年。ローマの影響下にあったのはわずか10年ほどということになる。
紀元前89年以前は、ローマ帝国に属さず、ギリシャなどの影響を受けつつイタリアの先住民の支配する都市であった。
ある書物から、ポンペイの町の様子、家内での生活風習が描かれていた。それは、日本の江戸期くらい、あるいはもっと言えば昭和40年代くらいまではあったであろう日本の生活風景とみまがうものがある。
日本の古来からの生活風景は、近隣の中国などの古代の生活風景とも似ている部分もあるが、むしろポンペイのほうがはるかに親和性が感じられるのである。
少し長いが以下に引用する。
「ローマ人はことの他風呂が好きだった。古代都市ポンペイは、紀元前79年夏のヴェスビオ火山の大噴火で埋もれたのだが、そこには公衆浴場が6つもあった。」
「ポンペイの街の一角を歩くだけでも、いたるところに神々があふれていた。壮麗な神殿のなかでなくても道路に立てば、辻神に出会う。それらの神格は辻神崇拝組合によって奉じられ、いわば小さな町域の守護神としてあがめられていたのである。それぞれの家々には家の守護神ラレースと先祖の霊が祭られている。神殿の形をした神棚があった。」
「朝目覚めると、健康と家内安全を願って神棚に手を合わせる。家の中庭にはバッカス(酒と豊穣の神)の胸像が設けられ、今日一日の楽しからんことを念ずる。」
「神棚には、家の守護神とともに、ユピテル(天空神)・ユノ(女性的資質を備えた女神)・ミネルヴァ(芸術・技術・智慧などを司る神)の三主神(ローマ帝国の三主神)を祭る保守派の家庭でも家内の一角に外来のイシス女神(エジプト由来の豊穣・愛・再生の女神)のお社を奉献していることもある。」
(写真/文章 いずれも「多神教と一神教」岩波新書より)
写真の地図中の*印が街の通路にある辻神の社である。いかに多いかがわかる。
日本の生活習慣習俗信仰との不思議な符合は何を意味するのか。
天皇とアニミズム
戦後、マルクス史観をもった学者が神道を論じる際に、神道と天皇を切り離して論じたがった。
神道は本来天皇とは関係ないものだと。
確かに「天皇」以前にも神道的習俗はあっただろう。
しかし、天皇を除外した神道などほとんど意味がなく、仮に天皇が神道と関わる歴史がなければ、今頃神道などというものは、単なる一地域一地域に伝統的な風習としてなにがしかの行事が残る程度で、到底文明としての構成力などあり得ない。
文明観とか国家観とか、そういった概念で神道を語るだけの見識や「勇気」すら不足していたのが戦後しばらくのこの国の学会のありようだとも言える。
だったら偉そうに明治維新を語るなと言いたいし、結局日本史の否定だ。縄文しか語る視野がなくなる。(実際そういうスタンスの学者もいるだろう)
当然ながら、別に縄文を否定しているわけでも悪いというわけでもない。縄文も日本にとっては極めて重要な要素である。
しかし、そこまで戻らなければ神道を語れないという、そういう思想は結局、私に言わせれば「負け犬」の論理でしかないのである。それこそが日本史へのニヒリズムである。
第二次世界大戦で日本が敗戦したということは、日本文明が西洋文明に屈したということだ。幕末以降の圧力についに屈したということでもある。
そこで「日本史」を否定したら、もうそれは魂まで奴隷化したことと同じになる。自ら進んで奴隷になる必要はないだろう。
そういう視点で神道を論じ日本文明を論じ天皇を論じるという「見識」がこれからのこの国には必要であろう。
そういう見識を持った上で神道とアニミズムとの関係や縄文と神道の成り立ちを論じるのは問題ないのである。
私に言わせれば神道をアニミズムだ、という話はこのくらい重要な要素をはらんでいる。
まさか天皇をアニミズムの族長だなどというならばそれはもうこの国への侮辱でしかなくなる。
ならばそういう人々は、ローマやエジプトの皇帝や王をアニミズムの族長だと言うのだろうか。
日本の神道をアニミズムだというのは人種差別
誰が神道はアニミズムだと言ったのか分からないが、恐らく西洋人の受け売りで発言したに違いない。
アニミズムというのは要するに未開の土人のような人々が自然の脅威に恐れおののきこれを神として崇める行為を発端としているのだろう。
神道の原初的自然崇拝にそういう側面があるのは事実である。磐座や山岳信仰にはそういう側面がある。しかし、以下の点についてはどう説明するのか?
神道には自然神と人格神が並存あるいは習合しているが、これはエジプトやギリシャ、ローマあるいはメソポタミアの多神教文明に現れる神々の体系とほぼ同じである。
彼らの信仰にも自然への脅威という側面はあるのである。
ただこれらの文明の神々と日本文明の神々との扱いの違いは、日本の神々は人格神であっても偶像崇拝はしないということだ。そういう意味では一神教文明の信仰形態に近い。
西洋人たちは、エジプトやギリシャローマ、メソポタミアにおける多神教文明をアニミズムとは呼ばない。
彼らの文明と脈絡があるからそうは呼ばないのである。これらの文明の起源をアニミズムだという話を私は聞いたことがない。
未開の一段劣った人種や民族が行うレベルの低い信仰形態をアニミズムと呼ぶということだ。
従って我々日本人が自らの文明をアニミズムだなどと呼んではならないと言うことになるだろう。しかし、アニミズム的な要素をも含んでいる、と言うことはできるだろう。
(写真 : シュメールの都市ウルの主神である月神シン)
死刑制度と聖書の言葉
普通日本人ならこう考える。
「人を殺すという行為をなす以上、自らの生命を賭す覚悟で行うべきである。自分が人を殺しておいて、自分が死ぬのは嫌だと言うのははなはだ卑怯の極み、あるいは情けない人間である。もっとも、非常に不遇な境遇にいるとか、止むに止まれぬ状況下で追い詰められたとか、何か人道に照らして心情が理解できるのというのであればこの限りではない。」
一方、聖書にはこうある。
「一つの町へ進んで行って、それを攻めようとする時は、まず穏やかに降服することを勧めなければならない。
もしその町が穏やかに降服しようと答えて、門を開くならば、そこにいるすべての民に、みつぎを納めさせ、あなたに仕えさせなければならない。
もし穏やかに降服せず、戦おうとするならば、あなたはそれを攻めなければならない。
そしてあなたの神、主がそれをあなたの手にわたされる時、つるぎをもってそのうちの男をみな撃ち殺さなければならない。
ただし女、子供、家畜およびすべて町のうちにあるもの、すなわちぶんどり物は皆、戦利品として取ることができる。また敵からぶんどった物はあなたの神、主が賜わったものだから、あなたはそれを用いることができる。
遠く離れている町々、すなわちこれらの国々に属さない町々には、すべてこのようにしなければならない。
ただし、あなたの神、主が嗣業(注)として与えられるこれらの民の町々では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。
すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとはみな滅ぼして、あなたの神、主が命じられたとおりにしなければならない。
これは彼らがその神々を拝んでおこなったすべての憎むべき事を、あなたがたに教えて、それを行わせ、あなたがたの神、主に罪を犯させることのないためである。
長く町を攻め囲んで、それを取ろうとする時でも、おのをふるって、そこの木を切り枯らしてはならない。それはあなたの食となるものだから、切り倒してはならない。あなたは田野の木までも、人のように攻めなければならないであろうか。
ただし実を結ばない木とわかっている木は切り倒して、あなたと戦っている町にむかい、それをもってとりでを築き、陥落するまで、それを攻めることができる。」(申命記第20章より)
(注)主によって分け与えられ受け継ぐべき財産、特に土地を指す
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/ローマ法王、死刑一切認めず-カトリック教会、立場変更/ar-BBLoUeE?ocid=sf
この辺は江戸時代から関東大震災前まで青物…
この国の歴史に震える瞬間
大江戸線の新御徒町を降りて地上に上がるとすぐ、古めかしいアーケード街がある。
「佐竹商店街は日本で二番目に古い商店街です」
という垂れ幕が下がっている。
商店街の終わりあたりにこの商店街の歴史を記した看板があった。
この地域一帯は江戸時代まで現在の秋田県の佐竹藩(久保田藩)の上屋敷があり、この商店街のある地域を含む広大なものであった。(現在の台東区台東三〜四丁目の半分ほどのエリアであったとある。)
明治になり御屋敷が取り壊され「佐竹っ原」と呼ばれていたところに次第にこの商店街が出来始めたようである。
最近、こう言った「歴史痕」を見るにつけ思うことがある。
日本の武士階級、特に大名家は幕府方、外様方に限らず、その資産規模はとても大きなものであったはずである。
しかし、それを明治維新という変わり目に際してほとんど文句も言わずあっさりと捨て去った。それはこの国がおかれた危機というものを上から下まで共有したことの証である。
ごく身近な外国においては、自分の権力を維持するために、国民だろうが国土だろうがズタズタに切り裂いても平気でいるような人間が指導者として君臨している。
世界史を見ればそれはかなり「普通の事」である。
翻って、自分の国のことについてあれこれ知るにつれ、あたかも「人ごとのように」この国の過去の事績に震えるほどの驚きを感じる瞬間がしばしばあるのである。
信仰者を増やすことは精神病患者を増やすことだ
と、ニーチェは言った。
彼はキリスト教に関する持論を述べた「アンチキリスト」と言う書籍の中でそのようなことを言っているが、キリスト教に限らず宗教というものにはそういう側面がある。
かく言うニーチェ自身も晩年は精神を病んだのであるから皮肉と言えば皮肉な話であるが、彼もまたキリスト教文明の病と闘い、その病の中に倒れたということか?
それはさておき、
人の信仰が深まるにつれ「真実」や「真理」などどうでもよくなる。信じているもの以外見たくもないからである。それに刃向かうものには容赦ない。人がこれ以上冷酷になれる瞬間はないだろう。
それは歴史が証明している。
どうしてこのようなことになるのか。
その多くは、彼らの信仰を支える「教え」がそうさせるのである。
だから私は神道に教えがないことを極めて評価しているし、ポスト「宗教」としての神道の役割について声を荒げたいということである。
現代人のようにある程度成熟した魂に、強要されるべき共通の教えは必要ない。
「教え」に変わるものは、それぞれの価値観や日々の活動や人生やあるいは神々と向き合う中で見出して行けばいい。分かち合える中でそれを共有するのもいいだろう。
しかし、神道は昔からそうだ。
だから神道は宗教ではないと言われる。そうだろうと思う。ある意味「超」宗教の概念だと言えるだろう。
キリストにせよブッダにせよ、彼が見たもの、訴えたかったもの、知らせたいものはあったし、それはそれぞれに人類にとって尊いものだ。
しかし、彼らの没後、それらを信仰するものが増え、教団が成立し、そこで飯を食わねばならない人が多数出てくると、あるいは自らの欲のため、布教のため、人を離さないために口から出まかせを言う。
頭の良い僧侶が現れて御託を並べ始める。
するとそれらが時間と共に「崇高」で「深淵」なる「真理」へと変貌するのだ。
そんなものにがんじがらめに縛られて日々を送れば頭がおかしくなってくるものもいるだろう。
そんなことをキリストもブッダも望んではいまい。
これが「教え」の正体と現実というものだ。
そうは言うものの、そういうものの中には、命がけで智慧をしぼりだして得た、有益な理論や思想、概念、言葉もあることは付け加えておきたい。
それらは学べば良いのである。
日本文明も良きは学び、己が胎中に取り込んできたのであるから。
素直にそうすれば良いのである。
ただここで「教え」というものの弊害を強調しておきたいと思ったのである。
旧約の創世記の起源
旧約の創世紀の起源は、ユダヤ民族の成立以前から存在する神話から後のユダヤ人が自らの「唯一神」信仰という観点から改変したものだろう。
創世神話の起源は現段階で知られているのは洪水伝説などがみられるシュメール神話にあるが、そこには創世においての「神々」の活動が記されているわけである。
神が人を作ったと言う話をユダヤ民族の話に限定するならば、ユダヤ人の起源はアブラハムである。
アブラハムを唯一全能の神に例えるならば、ユダヤ人にとって「唯一全能」であったとしても、アブラハム以外にも人はいる。
考え方としてはそういうことだ。
キリストが人類の創生についてどのように語ったのかは知らないが、ユダヤ民族にとっての「唯一」を人類全体の唯一だと言って「教勢拡大」の火をつけたのはパウロであろう。
当時、激しい迫害を受けていたユダヤ人の信仰を救ったのもパウロなのかもしれないが。
パウロと言う人は現代でいえば「カルト教団」の教組のような体質の人間である。
しかし、パウロの思想は宗教的権威と政治的権威を二分したと言う意味で権威と権力の分散を促す先鞭ともなっている。
(写真: 神にひとり子イサクを捧げようとするアブラハムと、それを制止する天使。レンブラント『アブラハムとイサク』、1634年。wikiより)
