世界史における「明治」の意味〜次の御代へ
明治とは、西洋が日本という扉を強引に開けたことを意味している。
扉を開けたら明治があった。
彼らは日本という、彼らにとってのパンドラの箱を自らこじ開けたことで自らの寿命を縮めたのである。
西洋絶対の時代の終わりの始まり
これが明治の意味である。
明治維新から今年か去年で150年らしいが、この流れは今も続いている。
それは、西洋文明の終焉とそれを引き継ぐ日本文明というプロセスである。
文明のパラダイムシフトということである。
このプロセスは、次の御代からその次の御代で完結するだろう。
それは同時に一神教文明が世界を支配する時代の終わりであり、「集中の文明」から「分散の文明」への移行であり、分散型文明の核となるのが日本文明ということになるのである。
文明の移行が完結した後、全ての主要な核となる価値観や手法は日本から発信される、あるいはその影響を受けた地域や人から発信されることになる。
我々が生きている間にそれが起こるかどうかはわからない。
しかし、そのための準備は今から必要になる。
右翼の定義
右翼とは何か?
一水会の鈴木邦男という人が右翼についてこのように定義している。少し長いが引用してみよう。
「右翼とはいったい何なのか。『俺こそが日本人の典型だ』と思っている人が右翼だ。だから、いつも《日本》にこだわっている。天皇制を初め、日本の文化、歴史、伝統に愛着を持ち、それが侵されそうになったら命をかけても守る。テロやクーデターに訴えても、この日本を守りたい。そう思っている人々だ。日本が危機的な状況の時には、そんな人々が決然と立って国を守った。楠木正成、吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛、、、。こうした人々は右翼の先輩だ。でもちょっとややこしいがこういう人たちは自分のことを「右翼」とは思っていない。「右翼・左翼」と言う言葉は大正時代に外国から入ってきたからだ。では、松陰、竜馬たちは自分のことを何と思っていたのか。「草莽(そうもう)の士」と呼んだ。在野の一人の日本人だと思っていた。それでいいはずだ。ところが、「日本人の典型」が今や右翼と呼ばれている。」(出典「日本の右翼と左翼」宝島文庫より)
この論からすれば、私は疑いようもなく「右翼」だ。少なくとも95%以上は一致している。
しかし、私は、テロは容認しない。
なぜなら過去の歴史に検証して、テロリズムと呼ばれるものが、結果的にその国、国民、民族にプラスになったと考えられるケースがあまり見られないからである。
テロの定義は広い。明治維新を行った主導者達、例えば、西郷隆盛とか桂小五郎や坂本龍馬のような人々を「テロリスト」だと言う人が最近ではいる。
しかし、テロリズムとは基本、彼ら自身の目的を完遂するために、無差別に民衆や特定の階層の人間を殺戮することを厭わない思想であるとするならば、むしろ、スターリン、毛沢東、ポルポトのような左翼社会主義・マルクス主義者のほうがはるかにそれにあてはまるだろう。
彼らがこの百年に行ってきた殺戮と虐殺は1億人を超えている。しかもほとんどが、自国民であり、同じ「同志」達である。しかし、そこで左翼の人々はひそかには思う。
「これはプロセスだ。理想の達成にはやむを得ないことだったのだ。」
朝日新聞の一部記者たちのような連中は今でもそう思っているかもしれない。
あの虐殺を「プロセス」と呼ぶならば、ヒトラーのユダヤ人虐殺も「プロセス」である。ナチスにもナチスなりの理想の達成という目的はあったはずだから。
しかし、ナチスのユダヤ人虐殺が仮に600万人を超えていたとしても、共産主義者からみればかわいいものだ。さすがのヒトラーも一億には遠く及ばない。
だから私は日本の左翼連中(いわゆるリベラル左翼)が「反戦平和主義」を唱えているのをみると虫唾(むしず)が走るのである。戦後日本の左翼的な社会風潮を象徴する言葉を一言で言うならば、私は「偽善」もっと言えば「詐欺」という言葉が適当だと思っている。
ではヒトラーは「右翼」なのか?
右翼という言葉の定義には「反共産主義」が含まれる。その意味では彼らは右翼であろう。しかし、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」である。
ファシズムというのは、極右にも極左にも起こる現象であり、ナチスだけでなく、ソ連にも中国共産党政権にもその定義はあてはまる。
国家主義と左翼社会主義が結託すると、極右になる。国家主義ではなく、民族主義に差し替えられることもある。
一般的に、共産主義、社会主義というのは、グローバリズムであり、これは西洋キリスト教的な「一神教による全世界的布教活動の推進」、すなわち一つの価値観、ひとつの柱によって世界を席巻する、単一主義、という理念からの思想的影響を無意識的に受けているものと思われる。これを文明の同一根と呼ぶこともできるだろう。
共産主義・社会主義者達が自らの目的達成のために階級闘争を行い、そのために邪魔になる人間たちを虐殺したように、ナチスは民族主義という目的のために、異民族を虐殺したのである。
『今やユダヤ人に圧迫された我ら優秀なるドイツ民族は、今こそ立ち上がらければならない!ユダヤ民族を粉砕せよ!』
これがナチズムの基本であろう。
ナチスの民族主義には極めて「階級闘争的」な意味合いを孕んでいる。虐げられたドイツ民族とそれを抑圧搾取するユダヤ民族という構図。
その意味で、ナチスのような極右政党は社会主義、共産主義の「亜流」だと私は思っている。ヨーロッパ的、西洋的な定義においては、右翼も左翼も同じ穴のムジナのような部分がある。
このような現代西洋的な定義からすれば、私は明らかに右翼ではないし、そもそも日本における右翼という定義はこれとはかなりかけ離れている。
もっと言えば、日本においては、西洋的な意味あいの右翼というのはほとんど起こりえないだろうと私は思っている。
現代日本史上において「オウム真理教」だけは異色である。彼らは右翼にも左翼にも定義されないが、麻原彰晃という人物を絶対専制者にしたかったはずである。その目的のために日本人を無差別に殺戮することを厭わなかった。彼らは全く「日本人的ではない」人々である。多分本質的に日本人ではないだろう。彼らは非日本人的なテロリスト集団であった。
ネット右翼というのがいる。
これは多少西洋的な右翼思想を含んでいる。過激なまでの中国人、朝鮮人批判があるからだ。しかし、彼らはナチスのように残忍にはなれないだろう。それほどの理念もない。何か憂さ晴らしのようにしか見えない。彼らには階級闘争的な「理念」や「目的」があるわけではなく、要するに「腹に据えかねている」だけだからである。
もちろん、私はネット右翼でもない。だから文化右翼を自称している。
西洋的な意味での右翼、極右は、王制を打倒する。ナチスはカトリックと手を結んだが、自らを絶対的な支配者、「専制的指導者」になった。専制的という意味では北朝鮮の「金王朝」とヒトラーは同義である。もちろん、ソ連共産党も中国共産党も同義である。
日本には祭祀王たる天皇がいる。だから日本の右翼は決して「専制者」にはならない。階級闘争のための「虐殺」や「屠殺」も起こりえない。
従って、日本の右翼というのは、極めて文化的であり、文明的な意味合いが含まれるのである。世間一般の右翼と日本人の定義する右翼とはかなりかけ離れているのである。
日本の右翼とは、「理念」で動くのではなく、むしろ「任侠道」とか「義侠心」という言葉に近いものがある。
(写真 後醍醐天皇画像)
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真日本人への道
神気を感じる。
優れた神社や聖域に入ると張り詰めた神気を感じることがある。
その神気が自分の肉体や魂に染み渡り、染み込んで行く。
このプロセスを繰り返すことでやがて、神々の意思とリンクするようになる。
これが、日本人が「真日本人」へと変容する瞬間である。
伊勢神宮に心御柱があるように、己が魂に心御柱がうち立てられる。
こうなると人は知らぬうちに様々な情報を得られるようになる。
その人の能力や興味に応じた様々な知識やアイデアをいつのまにか得る。
創造力の源泉に触れることになるからである。
日本人としての創造力の源泉にリンクする。
これが真日本人ということだ。
心御柱は揺らぐことがない。
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天皇 女系天皇と女性天皇の意味
天皇家には、他家の男性は誰も入ってゆくことはできない。
女性は誰でも皇室に入ることができる。
女性には開かれているが男性には全く開かれていない。
女性蔑視でも何でもない。
しかし、女系天皇というのは、例えば天皇家に魚屋の山田さんの家の娘が入ったとする。
すると、魚屋の山田さんの家系が天皇の直系の家系になってしまうということ。
それが女系天皇ということの意味だ。
古代から男系で維持されてきた血統が完全に破壊される。
こうなったら、もう皇室としての意味がなくなる。
天皇というのは、日本の神社の大御親である。
なぜなら日本神話の直系として、日本文明を体現し、歴史と、この土地に住まう先祖霊や魂達を自ら背負う祭祀王としての存在。
そのことの意味を理解できれば日本人とは何かということの意味が分かる。
それが理解できなければもう日本人として機能していないと同じようなものであろう。
ただの日本島の住民に過ぎない。
その天皇というものの日本の国土や文明における意味をしっかりと身につけねばならない。
女性天皇というのはある。男系の女性が天皇になったことは古代にもある。
しかし、女系の男子も女性も天皇になったことはない。
今女系天皇を誕生させようと考えている日本人がいる。
彼らには日本の歴史も天皇の歴史も天皇の意味も何も知識がないと言っていい。
ただ、薄っぺらい西洋の男女平等とか、そういうぺらぺらの理屈で言っているに過ぎないのだろう。
さもなければ、この国を破壊しようという意思を持って活動している連中であろう。
男女平等というなら、ローマ教皇やチベット法王、ユダヤ教のラビ、イスラム教の指導者に女性がいないことをなぜ問わないのか。
西洋人が偉そうに日本の皇室のことについて言ってきたら、そう言えばいいのである。
日本の天皇は神道の祭祀王であり、ヨーロッパの王家とは違う。ヨーロッパの王家というのは日本でいえば、徳川家とか足利氏とかと同じレベルである。
日本人である以上このくらいの知識は身につけておかないと海外で自分の文化について語れないだろう。
世界で唯一、超古代からメソポタミア文明頃に存在した、王の在り方を形に残しているのが天皇であるということ。
萬世一系というのは、男女平等とか女性蔑視とかそんなレベルでそのように決められているわけではない。
我々には理解できない深い理由、人間の智慧が盛り込まれているのかもしれない。
今の天皇家は北朝系。南朝系もある。戦後GHQに廃絶された旧皇族もある。
日本の文明や天皇というものの存在意義も何も知らない人間が皇統のことについて意見するなど論外である。
そもそもそういう人間は本来日本の文明にも天皇の意義にも興味がないんだから黙っていれば良いのである。
運と欲
人生を振り返る。
欲をかいた時、チャンスを失っている。
だいたいそういう時は欲をかいているものだと。その時の精神状況を精彩に振り返ってみるとそう思える。
欲をかくということはチャンスを得られないということと同じような意味なんだろう。
欲をかいてチャンスを一つ失う。
小さくてもチャンスを一つ積み上げる。
チャンスが得られないということは、何も積み上げることができずただ失うか、現状維持というよりは下降するのみである。
結果論として、チャンスを積み上げることのできるものと、チャンスを得られないものとの差は凄まじい。
一つのチャンスを失うということと、一つのチャンスを積み上げることは、その時点で本質的には2倍以上の差が開く。
2回3回とそれが続くともう天地ほどの差になる。
これはあくまでも数値化の世界に話だけれども。
しかし、人生もあるいは人間社会もそして自然の法則もまた似たようなものだと思える。
種のまま彷徨い朽ちてゆくものもあれば、大きな実を豊かに実らせるものもある。
植物が欲をかくかどうかは定かではないが。
運ということもあるかもしれぬ。
運と欲は密接な関係があるということか。
欲をかけば運が逃げる。
幸運とは無欲
無欲であれば運が増す
運は運ぶ
運ばれてきた幸運を欲が弾く
欲のないものは良く運を受け取る
運気を活かすことと欲は密接に絡んでいる
自分の中に起こる「欲」の動きをよくみてゆくことが必要である。
