ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は共に旧約聖書を聖典としている。ユダヤ教では、終わりの日に現れるという救世主は未だ出現していないとし、キリスト教はイエスキリストをもって救世主とし、イスラム教はマホメットを救世主であるとする信仰の形態である。しかし、それは全て旧約聖書に預言されている記述に基づいている。
モーセなどが一族を指揮する族長の時代から、神から指名され種族を守護する役目を担う師士の時代を経て、強力な軍隊を持つ他国の軍隊から自らを守るために、民衆は王の出現を臨む時代へと移行する。初代王サウルとの戦いを経て、民族を統一したダビデは、ペリシテ人の手にあった神の箱を自分の町へ持ち運び、神殿を建設しようとする。
10年程前、ハンガリーのブダペストに行った。市内中心部に、Dohány Utcai Zsinagógaという、世界で3番目に大きなシナゴーグがる。あまり深く考えることもなく中へ入った。祭壇を正面から眺めていると、見慣れた文様が突然目に入った。まぎれもなき菊の御紋章であった。私は思わず堂内のユダヤ人女性に聞いた。
ハワイ王国の第7代国王 デイヴィッド・カラカウア[/caption]先の文にて、西洋、とりわけユダヤ・キリスト教文明と日本との関わりについて述べた。しかし、日本の位置づけはそれで終わらない。時は幕末から明治初年。明治政府は西洋列強とユーラシア大陸側からの圧力をうけながら、自国の保全に力を奪われていた。その時、はるか東、太平洋の真中の諸島の王国から一人の王が明治天皇を訪れた。
これから記載する内容は、一つ一つのテーマだけでも何冊かの本になるくらいの内容を含んでいる。今回できるだけ短くしたが、本来はもっと詳細に研究が必要な項目である。ヨーロッパの記憶 昨日、あるルーマニア人を接待することになり、二人で数時間さまざまなことを話した。彼は、日本へ初めて来た。食事中、彼は私に質問してきた。
1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で、“七生報国”(七たび生まれ変わっても、朝敵を滅ぼし、国に報いるの意)と書かれた日の丸の鉢巻をし、雄叫びを上げながら自決した。その少し前、1970年(昭和45年)7月7日の新聞紙上で、『果たし得てゐない約束』という文章を寄稿している。
高千穂と言えば、宮崎県の高千穂を思い出すが、宮崎の高千穂は、鹿児島の霧島連山の高千穂峰が見渡せる場所ということで付けられた地名だと聞いた。 前回記載した、吾平山上陵と、そして高千穂峰下の霧島神宮旧宮址(高千穂河原)を訪れた時、自分にとっての神道最重要地を霧島に定めることにした。
あれは2010年頃のことか。東日本大震災の起こるおよそ一年前ほどになる。なぜか朝鮮半島のことが気にかかり、新潟県から石川県にかけての神社をめぐり、国土安穏の祈願巡礼を始めた。 当時はまだ金正日の時代だったが、やはり核兵器の問題などがあって、漠然とした不安。しかし強い不安と懸念が渦巻いた。
