日本人はこれから何を求めて生きていけばいいのか

さて、今日は、これからの日本人の指針について話をしたい。

この百年ほどの期間、世界は西洋的な価値観を最高のものとして生きてきた。

事実、それは力・政治・経済・技術の上でも結果的に成功を収めたことは疑いがないだろう。

しかし、それらの価値観を振り回しても、まるで虚空をつつきまわすがごとく感じるようになったのは、たかだかここ十年ほどのことであろうか。

21世紀に入った段階で確実にそういうことになっていたと思われる。

2001年の同時多発テロの時がもしかするとその決定的な分岐点かもしれない。

なぜか、あれがそうなのか。その理由は今は分からない。

フランス革命以降、あるいは、その淵源にルネッサンスも含むのであるとすると、.それらの西洋的価値意識というものが、ここに至りついに「空回り」を始めたのである。

しかし、その発端をさらに辿れば、日本の明治維新に行き着く。

それから、およそ150年。

第一次世界大戦から第二次世界大戦の間の前後の期間には、「西洋の黄昏」ということが彼等自身の言葉から発せられ、自らを否定するニーチェの思想なども起こった。

しかし、それでもまだ西洋の力は衰えず、欧州から北米にその力を伝播したのである。

作今の移民や難民問題。それらに関わる自らの文明不安定~崩壊の危機の発生。にもかかわらず、いまだ主流の勢力は自らの基本的な価値観によって自らが栄えることが可能だと信じ、さらにその拡大を模索する。

そして、トランプの登場。

これこそが、まさに西洋文明の拡大的な価値意識の終焉を象徴している。

もはや自分達の価値意識を無限に拡大することが不可能であると、彼等の、西洋人の、集合的無意識、あるいは、ある種の言い方をすれば、西洋人的の霊的集団からなるものたちがそれを悟った瞬間であろう。

明治以降に培われた西洋かぶれの日本人達の価値意識というものは、もう時代遅れだから、そろそろそれを脱ぎ捨てるべきではないか。

では、それを脱ぎ捨てて後、一体私たちは何を「規範」とするのか。

その疑問に対する回答は極めて簡単である。

「おのれの歴史そのものをつぶさに見直す」

日本人のこれまでの歴史的な過程。そこから生み出されたさまざまな価値観。

それらをしっかりと見ていく。見直すことでさまざまな長所を見出すだろう。

それを、個々人が生まれながらにある能力や才能、興味に照らし活かしていく。己の能力や才能や目標や興味の中に流し込んでいく。

それだけでいい。必ず見出せるはずだ。

それが、この国を豊かにし、もともとあった日本人の笑顔を取り戻すことになるだろう。

そして、最終的に、それが世界が最も求めていたものの神髄の一つを現すことになる。

これこそが日本人が求める確実なプロセスだ。

本質は全て自らの血肉のうちに見いだすことができる。

世界を変える力は意外にも自分の足元にあるということである。

この言葉を信じるべきだ。信じるに値する言葉であり、全てを活かすに足る。

今、全てはおのれの足元にあるということを。

パラダイムシフト

高学歴な人は、その時代の価値意識を最大限に脳みそに吸収して成功する。

だから、その価値意識を捨てることが難しいのである。

例えそれが、もうダメだと感じていてもそこに執着するものも多数いるだろう。

フランス革命以降の人類共通の価値意識として発展してきた、近現代社会の価値意識

「自由・平等・博愛」

これに加えて、「人権」という。

この4つの単語だけで世界をコントロールできる時代は完全に終焉を迎えている。

むしろこの4つの言葉を活用した「詐欺」が横行するのが現代であろう。

どれほど、有効な価値観も時代が変われば、「悪」となる。

善極まれば、悪となる。

これこそが、歴史の教訓であろう。

まさに今その時を迎えている。

それを悟りいち早く「衣替え」できるだけの優れた見識のある人材が多数出ることのできる社会や国家が次の時代の文明や価値意識を主導することができるのである。

将門首塚

まだ日本興業銀行が倒産する前に、同じ敷地内の銀行社屋の隣にあった三井物産に一年ほどいたことがある。

敷地内の池にカルガモ親子が住んでいてテレビで話題になっていた。バブル崩壊直前のイケイケドンドンだったが、首塚はそんな時代に取り残されている感があったように記憶している。

この二つの建物の真ん中に将門首塚がある。不思議なことに両社屋とも現在建て替え工事中である。

当時の首塚は、今よりもずっと暗く、ただ敷地内に墓石がそのままあるに過ぎなかったが、数十年ぶりに行ってみると、暮石には厳重なガラス張りで保護されている。

また建築中の落下物が落ちないように鉄骨組みで養生されており、観光客も多くて以前より落ち着いた感じである。

この地は伊達藩のお家騒動(伊達騒動)があった場所でもある。

天津祝詞一唱

日本の農地は10年後以降に大変動する

地方を車で走っていると、誰しもが確実に感じることがあるはずである。

「誰もいない」

十分走っても人がいない。

普段東京にいるから気づかないが、こんなにも人というのはいないものかと。

ごく稀に人影を見かける。

田畑で農作業をしている。

しかし、そのほとんどが高齢者である。70前後か。

「あと十年したら日本の農地の大半が休耕地になるんじゃないか」

確実にそうなるだろう。

問題はその時どうなるかだ。

これはほぼ確実に、そうなるだろうと思うが、農業は集約型に移行するだろう。

しかしそれを、「外資」がやるなら悲劇である。イオンやドン・キホーテがやるのはまだ良い。三井・三菱やトヨタがやっても良いだろう。

日本の行政は護送船団でも何でも良いから、国家として農業を守っていくという方向を、今の段階から考える必要があるだろう。

伯耆国 二ノ宮 大神山神社

二ノ宮が一ノ宮よりも栄えているということはしばしばある。

大山を御神体とした神社で、ご祭神は大国主命ということになっているが、あまりそういう感じはしない。本来の霊山信仰から出来た神社であろう。

自分がここ数年見てきた中で、霊山、すなはち霊的であると感じた山は、大山と鳥海山かと思う。他にもあるかもしれない。しかしこの二山がこれまでのところ特に印象的である。

その山容を見た瞬間、手を合わせたくなる山。

「なにごとの おはしますをば しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」

とは西行の伊勢神宮参拝の句であるが、霊山にもそれがある。山には「畏怖」の感覚も加わるだろう。

大神山神社奥宮本殿は、権現造の神社本殿としては、日本一の大きさ.であるという。

典型的な修験との習合神社であり、江戸期までは神仏習合しており、神社下には大山寺という寺もあり、寺下は行者が寝泊まりする宿坊街があり、今でもその面影を残している。

写真では分かり難いが、本殿は横長で非常に大きく、正面左側には、摂社下山神社の社殿があるがこれも立派な作りであり、境内までの山道を含め重厚な面持ちである。

後醍醐天皇は隠岐脱出後、当社にて鎌倉幕府打倒の祈願をしたという。

伯耆国一之宮 倭文神社

鳥取県の東郷湖という湖沿いの山上にある。「シトリ」と読む。周囲にこれといったものがなにもない地域で少し人里離れているが、山下の東郷湖周辺には古墳群が散在しており、古代において、このエリアが栄えていたことを示している。

祭神は、建葉槌命、大国主命の娘である下照姫命など。下照姫命は、後付けで、もともとは、倭文族の祖神、建葉槌命が主神である。倭文族は、織物を主産業としており、海人族である。

出雲系神よりも古い年代に海人族の祖神が祀られていたことは興味深い。福岡の海人族の本社と言われる志賀海神社、対馬の一之宮海神神社など、九州北部から山陰地方にこれらの海人族の神社が広がっている。

富山県富山市に、姉倉比売神社という神社があるが、この地域の最古社であると言われている。南の方の豊かな天国のようなところからやってきて機織りを伝えた女神であるという由緒がある。この神も大国主がこの地域にやってくる以前からの神であるという。建御名方神が併せ祀られている。

倭文布(しずおり)は、南方諸島から伝わったという。

海人族は、南方から沖縄を経由して鹿児島の薩摩半島に上陸し、その後九州北部から、瀬戸内、山陰、北陸あたりの海沿いを勢力圏にしていたものと思われる。

神話にもある天照大神と機織との関係性も重要である。

尚、倭文と名のつく地名は、常陸(茨城)、上野(群馬)にもあるが、古代、常陸、上野、上総(千葉北部)は天皇家の直轄地(親王任国)であった。

海人族と天皇家の関係の深さを想像させる。

隠岐 王城鎮護社

後醍醐天皇行在所址(国分寺址)。

史跡背後に後醍醐天皇をお祀りする王城鎮護社がある。後醍醐天皇関連の史跡は隠岐島後の国分寺及び島前の西ノ島別府湾内の黒木御所がある。

人の魂が日本人になる瞬間

若い頃は日本という土地が窮屈に感じるものだ。

だから、ある人は海外に憧れ、日本を忌避したかもしれない。

そしてまたある人は、前世の自分を想う。

海外のとある地域に自分の心が執着して、その地域への思いを断ちがたい幻想に襲われることもあるだろう。

しかし、そこへ行ってみると、

その場所は、もう自分にとって「その場所」ではくなっていることに気づくこともある。

「時の経過」が自らの魂を変容させ、その場所をも変容させるからだ。

その後、人はふと神社を訪れる。

その魂は我に還り、神道が生み出す自然の「完璧」さの中に、「ぴりついた空気感」の中に包まれるだろう。

「畏るべき世界」の中に。

ただ単に、純粋の自然によってのみ生み出される、「自然の美しさ」と、

神道的世界観の中で、人との関りの中で産み出され、育まれる「自然の美しさ」とは、完全に別のものである。

この違いが理解できた時、その人の魂は神道から離れがたくなるだろう。

そして、その瞬間、人の魂は「日本人」となる。

それ以前の人は、厳密には、何人も「日本人」とは言えない。

逆に言えば、それ以降は何人も「日本人」となる。

そして、「日本人」として生まれたことに感謝し、あるいはこの土地に縁あることに感謝し、その「神髄」を守りゆかねばならないと決意するに至るはずである。

ついに「その人」は、ようやく「この場所」に至ることができた。

そして、ついにこう想うはずである。

神々がそこにいることに感謝し、その文明を守り、体現し続けてきた「天皇」の存在に畏怖するという、、、。

(写真:玉若酢命神社の八重杉、玉若酢命神社本殿、後醍醐天皇行在所址碑)