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日本文明・神道の話
ひきこもり・家庭内暴力と愛国心
ひきこもりと自虐史観のような、自虐的な日本人の戦後的体質とは何か関係があるのもしれない。
愛国心と言うと、何か悪いことのように言う風潮があったが、自分の国を愛することを否定するということは、結局自己否定と同じだ。
愛国心とは要するに自分の生まれ育った社会への肯定と親しみのことであり、文化文明への敬意であり、先祖先霊を敬う心ということだ。
自己否定とは自分の家族の否定であり、自虐史観は、自分が育った環境や価値意識、自分達の先祖の否定につながる。
要するに自分の周囲の環境そのものを愛することの否定につながる。
そんな環境で育ったら、ひきこもりになる子供が出ても不思議ではないと思う。家庭内暴力というのも、要するに自己崩壊現象ということだ。
ひきこもり・家庭内暴力とは要するに、民族の秘められた怒りを代弁しているのであり、神々や先霊の怒りに震えている魂の表れではないかと感じる。
日本と沖縄の文明的な関連性を考える上でのごく基本的な知識について
日本古代の天皇は基本的に第二子がなることになっていたようだが、第一子は何かというと祭祀を司った。
古代において、統治王たる天皇と祭祀王は別であり、ヒミコとは古代祭祀王(女王)の総称だという。
竹内氏の書によれば、男子が祭祀王になると国が乱れたという。俗に言う「倭国の大乱」とはこの時期のことをいう。
それ以前は女性が祭祀王となったが、一時男子がなり世が乱れたので再び女性がなると世の中は鎮まったという。
琉球神道は、聞得大君という祭祀の最高位を女性のノロ(神女)が担う。琉球王は男子である。
このように祭祀王と統治王が別々に存在し、古代においては女性が主に祭祀を司るという関係性は日本と琉球において類似している。
ある時期を境にして支那からの文化が多く流入した関係で、あたかも沖縄はどちらかというと支那文明に近いかのごとくに考える傾向があるが完全な間違いである。
おそらく、日向系種族は沖縄方面の南洋経路で鹿児島県の薩摩半島南端に到着した。
これは戦前から現代に至るまで多くの人が論じている。
オオワタツミ神は、九州から台湾までを影響圏に収めていたという。
今沖縄問題が激しいが、このような日本と沖縄との文明的に緊密なつながりを全く論じないで、いたずらな感情論を繰り出すのは危険であり、「敵の思うツボ」になると私は思う。
大和人も琉球人も少し冷静に考えなければならない。
沖縄の古代王族を天孫氏という。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E6%B0%8F
以下、「聞得大君」に関するwikiの説明抜粋
聞得大君は琉球王国最高位の権力者である国王のおなり神に位置づけられ、国王と王国全土を霊的に守護するものとされた。そのため、主に王族の女性が任命されている。琉球全土の祝女の頂点に立つ存在であり、命令権限を持った。ただし祝女の任命権は国王に一任されていた。また、琉球最高の御嶽である斎場御嶽を掌管し、首里城内にあった十御嶽の儀式を司った。
(動画 沖縄最高の霊地とされる斎場御嶽)
https://youtu.be/zkS_jmB0-NY
出雲大和の国譲りは明治維新にも大きく影響している
歴史は同じことを繰り返すが、どんな歴史にも核となる源泉が必ず存在する。その源泉から次第に雪だるまのようにその後の要素を付け加え、表面的には形を変えつつ次の歴史を形成していく。
古代史を見ていると、同じようなストーリーが出てきて、しかし名前が違う。ということがしばしばある。
伝わった地域が違うと、人の名前が変わることもあるだろう。だから、歴史家はしばしばそれを同じ話だとして片づける。
そういう側面もある。しかし、歴史は同じ事象を繰り返す、ということをしっかり認識する必要がある。
現在の鹿児島県に起こった日向系勢力が、現在の島根県にある出雲勢力と向き合うと、国譲りが起こるが、一部反乱軍は東方へ逃げる。今の諏訪である。
初めは敵対していた、日向、出雲の勢力はその後和合して、大和中心部へと軍を向ける。
連合軍は、大和勢力に国譲りを迫り、大物主は了承するも、長髄彦は反乱し、東方へ逃げる。今の東北地方へ落ち延びたという説がある。
日本の場合、大きな政変、政権の交代などが起きる場合、必ず西から起こって東を制する。そして旧勢力は東に逃げる。これが定石で古代から現代にいたるまでこれを繰り返している。
足利氏は、東から西なので、違うようであるが、尊氏は一旦敗退して九州へ落ち延び、兵を立て直して東へ向かうのでやはり定石に従っていると言えるだろう。
徳川は東から西向きの勝利で異色だが、権力の基盤を整えたのは、西の三河から東の江戸へ向かってのことであり、源氏が西から東の鎌倉に拠点を移したのと似ているだろう。奇しくも頼朝が生まれたのも家康と同じ愛知県である。頼朝もまた西軍の平氏を破ったが、その後仲間割れが起こり、義経は東へ向かった。
古代から現代に至るまで、権力の基盤は、室町時代を除き、しだいに西から東へと移動している。しかし、この法則が将来も続くかどうかは何ともわからない。
鹿児島にあった薩摩勢力が、敵対していた山口の長州勢力と和合して、江戸へと向かう。この図式は古代の日向、出雲勢力が神武東征した経緯と全く同じである。
明治維新は古代の日向、出雲、大和に起こった事象の繰り返しの現象であることは明らかである。明治維新においては、かつての神武天皇のように、明治天皇という存在を大きく浮かび上がらせることになった。ある種の復古だと言えるだろう。
このように見て行くと、古代日本に何が起こったのか。国譲りとはどのような背景を持ち、経緯を辿ったのかはおのずと想像することができる。
徳川慶喜が、大政奉還したというのは、国譲りそのものであって、出雲や大和で起こった国譲りの経緯と差異はないものと判断する。
古代大和の支配者の目線から見た時、西からやってくる勢力には何等かのシンパシーがあったに相違ない。同時に現政権の構造的欠陥も支配者の目線からみて明らかであったのかもしれない。
ただ、明確に言えることは、古代から現代にいたるまで、日本の国土に出現した支配者、特に大きな政変が起こる時、交代の役割を担う支配者が基本的に賢明であったことだ。自分の権力や利権にしがみつき、どんなことがあってもこれを手放さないという欲があったなら、「国譲り」は起こらない。
国譲りが起こらなければ国土の分裂が起こり、とてつもない怨念が残ることになるだろう。それは最終的に、朝鮮半島のような国家分裂を引き起こす元凶になる。
とはいえ、支配者がかくほど賢明であっても、それに従う忠誠心の篤い人々は、そんなもの分かりの良さに我慢できない。かつて、建御名方や長髄彦が東へと向かったように、会津、長岡らの旧幕臣達ら一部勢力もまた東へと向かう。東の果ての函館まで。
支配者にさほどの怨念は残らないが、下で忠誠を誓う者達の怨念はかなり長い時間尾を引く。どれほどそれが長いのか。それは、古代から現代まで繋がっている。
魂の源泉は同じだと私は思っている。理屈ではないのだ。だから同じことが繰り返し起こる。
しかし、そういう時、日本人はその解決法を持ってきた。
怨霊の御霊鎮めであり、その代表が出雲大社ということになる。
大きな変動が起こる時、多くの報われぬ魂が必ず出現する。
そういう時、我々日本人は、怨霊の御霊鎮めという、優れたシステムを思い出す必要があるだろう。このような考え方は世界の他の文明にほとんど見られなものだ。だから世界史の中で見ると日本は格段に人の心が荒れないのである。
このことを日本人は決して忘れてはならない。これは日本文明の智慧の結晶である。
(写真:出雲大社 大政奉還の図 wikiより)
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邇邇芸命と饒速日命との関係(ノート3)
日本最古の系図で知られ国宝にもなっている籠神社に伝わる海部氏系図によれば、
邇邇芸命の兄、天火明命が海部氏の祖であるというが、天火明命が饒速日命と関係ありとするならばどうか。
饒速日命は 天照国照彦火明櫛玉饒速日命と言われている。神武天皇が東征した際、大和の王であった饒速日は同じ天孫系であった。
同じということは同じということだ。
天火明命系=饒速日系=大物主三輪系
この時、三輪系の権力基盤は後の鎌倉幕府に近かっただろう。源氏系が主となるが、妻方の北条氏が権力構造において優勢であったように出雲系が優勢であった可能性が高い。
神武が大和に入って長髄彦は反乱したが、饒速日が神武を迎え撃ったという形跡はない。同族だったからと考えれば納得がいく。
饒速日の后は出雲系であったかもしれないが、すでに出雲も国譲りが済んだ後のこと。
神武が大和に入って後、いまだ権力基盤は確定的ではなく、十代崇神天皇に至ってようやく天皇家の権力基盤が確立したとすれば、その間、饒速日系から邇邇芸系への権力の移行期が数代に渡り存在したことになる。
神武系はあたかも鎌倉末期の足利氏のような立ち位置であったに違いない。
両者は敵対したというよりも同族間の共同統治的な中での力の探り合いがあったと考えることもできるだろう。
歴史というのは頻繁に似たようなことを繰り返す傾向がある。歴史に詳しいものは歴史をこのような視点から見るだろう。
(写真出典 http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51917633.html)
グルジェフ
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