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日本文明・神道の話
日本とギリシャ・ローマ社会との酷似性について
ポンペイは人口1万人。イタリア南部に位置し、ローマ帝国の植民都市であった頃、火山噴火によって一瞬にして消滅した。紀元前79年のことである。
町の歴史は紀元前700年頃からあるが、ローマに占領されたのは、紀元前89年。ローマの影響下にあったのはわずか10年ほどということになる。
紀元前89年以前は、ローマ帝国に属さず、ギリシャなどの影響を受けつつイタリアの先住民の支配する都市であった。
ある書物から、ポンペイの町の様子、家内での生活風習が描かれていた。それは、日本の江戸期くらい、あるいはもっと言えば昭和40年代くらいまではあったであろう日本の生活風景とみまがうものがある。
日本の古来からの生活風景は、近隣の中国などの古代の生活風景とも似ている部分もあるが、むしろポンペイのほうがはるかに親和性が感じられるのである。
少し長いが以下に引用する。
「ローマ人はことの他風呂が好きだった。古代都市ポンペイは、紀元前79年夏のヴェスビオ火山の大噴火で埋もれたのだが、そこには公衆浴場が6つもあった。」
「ポンペイの街の一角を歩くだけでも、いたるところに神々があふれていた。壮麗な神殿のなかでなくても道路に立てば、辻神に出会う。それらの神格は辻神崇拝組合によって奉じられ、いわば小さな町域の守護神としてあがめられていたのである。それぞれの家々には家の守護神ラレースと先祖の霊が祭られている。神殿の形をした神棚があった。」
「朝目覚めると、健康と家内安全を願って神棚に手を合わせる。家の中庭にはバッカス(酒と豊穣の神)の胸像が設けられ、今日一日の楽しからんことを念ずる。」
「神棚には、家の守護神とともに、ユピテル(天空神)・ユノ(女性的資質を備えた女神)・ミネルヴァ(芸術・技術・智慧などを司る神)の三主神(ローマ帝国の三主神)を祭る保守派の家庭でも家内の一角に外来のイシス女神(エジプト由来の豊穣・愛・再生の女神)のお社を奉献していることもある。」
(写真/文章 いずれも「多神教と一神教」岩波新書より)
写真の地図中の*印が街の通路にある辻神の社である。いかに多いかがわかる。
日本の生活習慣習俗信仰との不思議な符合は何を意味するのか。
天皇とアニミズム
戦後、マルクス史観をもった学者が神道を論じる際に、神道と天皇を切り離して論じたがった。
神道は本来天皇とは関係ないものだと。
確かに「天皇」以前にも神道的習俗はあっただろう。
しかし、天皇を除外した神道などほとんど意味がなく、仮に天皇が神道と関わる歴史がなければ、今頃神道などというものは、単なる一地域一地域に伝統的な風習としてなにがしかの行事が残る程度で、到底文明としての構成力などあり得ない。
文明観とか国家観とか、そういった概念で神道を語るだけの見識や「勇気」すら不足していたのが戦後しばらくのこの国の学会のありようだとも言える。
だったら偉そうに明治維新を語るなと言いたいし、結局日本史の否定だ。縄文しか語る視野がなくなる。(実際そういうスタンスの学者もいるだろう)
当然ながら、別に縄文を否定しているわけでも悪いというわけでもない。縄文も日本にとっては極めて重要な要素である。
しかし、そこまで戻らなければ神道を語れないという、そういう思想は結局、私に言わせれば「負け犬」の論理でしかないのである。それこそが日本史へのニヒリズムである。
第二次世界大戦で日本が敗戦したということは、日本文明が西洋文明に屈したということだ。幕末以降の圧力についに屈したということでもある。
そこで「日本史」を否定したら、もうそれは魂まで奴隷化したことと同じになる。自ら進んで奴隷になる必要はないだろう。
そういう視点で神道を論じ日本文明を論じ天皇を論じるという「見識」がこれからのこの国には必要であろう。
そういう見識を持った上で神道とアニミズムとの関係や縄文と神道の成り立ちを論じるのは問題ないのである。
私に言わせれば神道をアニミズムだ、という話はこのくらい重要な要素をはらんでいる。
まさか天皇をアニミズムの族長だなどというならばそれはもうこの国への侮辱でしかなくなる。
ならばそういう人々は、ローマやエジプトの皇帝や王をアニミズムの族長だと言うのだろうか。
日本の神道をアニミズムだというのは人種差別
誰が神道はアニミズムだと言ったのか分からないが、恐らく西洋人の受け売りで発言したに違いない。
アニミズムというのは要するに未開の土人のような人々が自然の脅威に恐れおののきこれを神として崇める行為を発端としているのだろう。
神道の原初的自然崇拝にそういう側面があるのは事実である。磐座や山岳信仰にはそういう側面がある。しかし、以下の点についてはどう説明するのか?
神道には自然神と人格神が並存あるいは習合しているが、これはエジプトやギリシャ、ローマあるいはメソポタミアの多神教文明に現れる神々の体系とほぼ同じである。
彼らの信仰にも自然への脅威という側面はあるのである。
ただこれらの文明の神々と日本文明の神々との扱いの違いは、日本の神々は人格神であっても偶像崇拝はしないということだ。そういう意味では一神教文明の信仰形態に近い。
西洋人たちは、エジプトやギリシャローマ、メソポタミアにおける多神教文明をアニミズムとは呼ばない。
彼らの文明と脈絡があるからそうは呼ばないのである。これらの文明の起源をアニミズムだという話を私は聞いたことがない。
未開の一段劣った人種や民族が行うレベルの低い信仰形態をアニミズムと呼ぶということだ。
従って我々日本人が自らの文明をアニミズムだなどと呼んではならないと言うことになるだろう。しかし、アニミズム的な要素をも含んでいる、と言うことはできるだろう。
(写真 : シュメールの都市ウルの主神である月神シン)
この国の歴史に震える瞬間
大江戸線の新御徒町を降りて地上に上がるとすぐ、古めかしいアーケード街がある。
「佐竹商店街は日本で二番目に古い商店街です」
という垂れ幕が下がっている。
商店街の終わりあたりにこの商店街の歴史を記した看板があった。
この地域一帯は江戸時代まで現在の秋田県の佐竹藩(久保田藩)の上屋敷があり、この商店街のある地域を含む広大なものであった。(現在の台東区台東三〜四丁目の半分ほどのエリアであったとある。)
明治になり御屋敷が取り壊され「佐竹っ原」と呼ばれていたところに次第にこの商店街が出来始めたようである。
最近、こう言った「歴史痕」を見るにつけ思うことがある。
日本の武士階級、特に大名家は幕府方、外様方に限らず、その資産規模はとても大きなものであったはずである。
しかし、それを明治維新という変わり目に際してほとんど文句も言わずあっさりと捨て去った。それはこの国がおかれた危機というものを上から下まで共有したことの証である。
ごく身近な外国においては、自分の権力を維持するために、国民だろうが国土だろうがズタズタに切り裂いても平気でいるような人間が指導者として君臨している。
世界史を見ればそれはかなり「普通の事」である。
翻って、自分の国のことについてあれこれ知るにつれ、あたかも「人ごとのように」この国の過去の事績に震えるほどの驚きを感じる瞬間がしばしばあるのである。
現代日本に至る道 ー 明治維新の原点に信長あり
現代日本に至る道筋を辿ると、織田信長が起点ではないかと思う。
信長以前と以降では国の形がかなり違うのではないか。
それ以前は権力の分散がかなり大きかったこと
権力基盤に宗教勢力が絡んでいたこと
兵農分離を進めたこと
信長は宗教を否定しなかったが政治や権力あるいは支配構造の中に入り込むことを嫌った。
一方で応仁の乱以降滞っていた伊勢神宮式年遷宮を復興させるなどした。
信長は天皇の上に自分を置いたと言われるが、この国の神々の中の一人くらいには思っていたかもしれない。
彼は中世の混沌とした権力構造に終止符を打ち、幕末維新以降、天皇を中心とした中央集権構造を生み出すに至る歴史の流れの起点にいる。
信長以降、秀吉家康によってキリスト教が禁じられることで、政治権力と宗教勢力は明確に二分される一方、結果的に天皇を日本をまとめる軸となるべく浮き立たせた。
その中継地点に水戸学があり、江戸時代の国学の興隆がある。
信長自身は、彼の死後の日本国の形がどうなるのか、それを意図してはいなかっただろう。
世界史において、古代文明の流れを軸とした文明は自壊するか他の勢力に殲滅されるなどして、近世以降地球上からほぼ姿を消していった。
唯一日本だけが古代文明からの流れを含む日本文明として残るだけでなく世界の大きな荒波を生き抜き、かつ成功を収めたのは奇跡という他ないが、その重要なファクターの一つに織田信長の存在を忘れることはできないだろう。
信長がこの国の形において、意図したものがあったとすれば、その完成形の第一段階として明治維新があったとも言えるのではないか。
(写真 建勲神社)
グルジェフ
人の本質と人格は別だとグ…
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