源氏再興を祈願し叶った文覚上人の神社。
鴨居から車なら5分ほど、海伝いに進むと、浦賀港に到着する。
浦賀には美人が多い。何故か。それは個人的な思い込みに過ぎないと考えていた。しかし最近、地元の人と話をしていた時、やはりそのような事が言われていることを知った。
江戸時代、浦賀港には裕福な廻船問屋が軒を連ねた。今でも何軒か大きな蔵が残っている。金のあるところに女が集まる。美人がいるというのは、そんな盛んな時代の残滓なのかもしれない。
鴨居から浦賀港へ出るところに、小さな港に似つかわしからぬ、立派な神社と出くわす。東叶神社という。叶神社は港をはさんで、東と西の両神社がある。江戸時代までは、真言宗醍醐派が管轄する神社であったらしい。
平家の横暴に業を煮やした、北面武士出身で、高雄山の僧文覚が、対岸上総国(房総半島)の鹿野山にこもり、源氏再興を祈願した。1180年願い叶ったことから、京都石清水八幡宮をこの地に勧請したのが始まりであるという。しかし、平家の横暴とは、余程のものであったのか。
東叶神社をほどなくゆくと、浦賀の渡しの船着場がある。うなぎの寝床のような、浦賀港の対岸までは、200mもないが、今でも就航している。観光を主としたものであるらしいが、この船が動いているのをまだ見たことがない。一度は乗船してみたい。
船着場の正面に、石碑がある。以前、徳田屋という旅館があり、吉田松陰、桂小五郎や佐久間象山が宿泊したという。石碑は、黒船を見るため、浦賀を訪れた吉田松陰が、この旅館で、佐久間象山と会ったことを記している。
浦賀という地名を知らぬものはいないが、浦賀を知るものは少ない。
今やひっそりと自らの歴史の重みを伝えている。
鴨居とか浦賀の事を伝える者はいなかろう。そう思い、書くことにした。

