画像は、1946年に日本側がGHQ民生局に提出した最初の憲法改正案の元原稿と思われる。

米国の公文書館のアーカイブには、民生局のリーダーCharles Louis Kadesによる、

「Charles L. Kades papers: Relating to the Writing of the Japanese Constitution (1947)」

という文書が収蔵されており、ほぼ全文を閲覧可能。

https://archive.org/…/mdu-prange-30402/page/n35/mode/2up

最終的に、ケーディスを中心とした民生局は日本側に対して10回程度文言の訂正を強制した。それでできたのが日本国憲法ということになる。

事実上、ほぼ全文の修正、というよりは民生局の作成したものをそのまま日本語化したものが現在の日本国憲法ということになる。

そのプロセスの全てをこのノートは掲載しているものと推測される。(当然ながら日本側に対する指示ややりとり交渉の具体的な経過などは記載されていない。)

ただ、まだ見ていないが、check sheetなるものの掲載がある。

いずれにしても、一国の憲法にここまで口出しするというのは明らかな国際法違反だろう。

ただ米側はこれを永世的に日本が自国の憲法として保持するとか考えてもみなかっただろう。あくまでも占領期間中に採用されれば良いと。この時点ではいつまで米軍が日本を占領するかは未定だったわけだし。

日高義樹というジャーナリストが随分経過した後、この時に憲法草案の作成にかかわった民生局のメンバーにインタビューした時のやりとりが彼の著書に記載されているが、彼らは、

「まだあんなものを利用しているのか」

と半ばあきれ顔だったという。

画像は、俗に松本試案と言われている日本側の改正案B案の冒頭部。A案と比較してみても明らかだが、B案の方が日本側の中心的な案だっただろう。

幣原喜重郎や白洲次郎が墓場まで持っていくと言っていた憲法制定の経緯が米側の資料でより鮮明になることを望むばかり。

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