およそ六年ほど前、麻布台という場所から横須賀へ引っ越すことになった。引越の半年ほど前。当時の農水大臣松岡利勝が新築間もない議員宿舎で自殺した。歌手のZARDが不可解な死を遂げた。議員宿舎もZARDの事務所も自宅から歩いて10分もかからない所にあった。その頃、連日のように鉄砲水のような豪雨があり、都心に雷鳴が轟いていた。何とも気分の悪い息苦しい日々が続いていた。
そして、ヘロヘロ顔の安倍晋三氏(当時首相)が、
「総理の職を辞するべき」
とか何とか。病とは言うものの、要するにヘタレ辞任であった。その後半年もしないうちに母が急に亡くなり、私は横須賀へ移動することになる。安倍晋三氏が総理に返り咲いた時、再び元の場所へ戻ってくることになった。奇妙な縁である。
現在の所在地は鳥居坂の途中あたりだが、この道を六本木方面に進むと、右にシンガポール大使館、三井クラブ、東洋英和女学院、左に国際交流会館、川崎ハウス、旧六本木中学、鳥居坂分館など、学校、大使館を除き意味不明な広大な敷地の建物が並ぶ。(このあたりのことについては後日)
六本木五丁目交差点を右折すると正面に東京タワーが見える。飯倉片町交差点を過ぎ、左に外務省の外交史料館、右にロシア大使館を見ながら、飯倉交差点を過ぎたところ。東京タワーの真下辺り。黒いガラス張りの低層建築物が目に入る。
「東京メソニックビルディング」
フリーメーソン日本ロッジ。敷地内は、森ビルの管理で、メソニックMT38、39などのテナントビルも並ぶ。
この敷地は江戸時代まで増上寺の敷地であったはずである。戦前までは、水交社があった。水交社とは、日本海軍の将校クラブ。戦後進駐軍に接収された後、いつからか、フリーメーソンのロッジとなった。
地上は2~3階しかないが、どうやら地下があるらしい。恐らく地下がメインであろう。ガラス張りの入口から中を覗くと、何やら怪しげな装飾が見える。
扉の中には入れないが、何やら意味不明の絵とか文章が刻印されている。以前インターホンを押して、中に入れてくれと頼んだことがあったが、断られた。
ここは増上寺。家康公にご挨拶しておこう。現増上寺の敷地内に東照宮の東京分社がある。家康公六十歳の折、自ら彫刻させた木造がご本尊。一年に一度御開帳される。以前、この前を通り過ぎた時、偶然開帳日であった。その際拝観した。思ったよりも小さなものであった。等身大であるとかないとか。だとすると、小柄な体型であったはずである。以前横須賀の記念艦三笠に行った時、東郷平八郎所用の軍服が展示されていた。それも随分小さなものに感じた。元来日本人は現代の我々よりもかなり小さかったのかもしれない。
鳥居をくぐると、急に小雨がぱらつき始めた。拝殿に向かい手を合わせる。何やら、
「ついに来たな」
という、気分のようなものが私の体を伝わった。意味は分からぬ。
鳥居を出ると、雨は止んでいた。
増上寺の前を過ぎると、徳川霊廟が土日祝に限り一般公開中(12月1日まで)とのこと。次の機会に拝観することにする。
以前住んでいた時、この界隈の歴史は詳細に調べた。その歴史は、重厚かつ重苦しい。この国を動かす者達のさまざまな念が行き交い、蓄積している場所である。
ほとんど知られることのない、この地域のディープで怪しげな歴史を語っていこうと思う。
写真(1枚目より フリーメーソン建物外観、看板、入口、入口内ロビー、東照宮東京分社鳥居、本殿、増上寺と東京タワー)


