阿蘇神社の楼門が崩壊した映像を見て、ついに疲労がピークに達し、数時間寝込んだ。

しかし、神社とは建て替えを繰り返すもの。遷宮。心機一転して新たなスタートを迎えるのである。

神々をお迎えするための、

禊の儀式

その時、神々は力づくで、過去の営みを洗い流す。脱衣婆のように。

これがこの国の文化でもある。江戸の町も数かぎりない崩壊を繰り返すことで蘇り発展した。

しかし、

九州の主要な神社は殆ど参拝したのに、熊本県内の神社は一つも参拝していない。父方の由縁の地であるにもかかわらず。

どうしても参拝できなかった。せめて阿蘇神社は、例えこういう結果になったとしても参拝しておきたかった。

どうしても行けない神社というものがある。自分で言うと、和歌山県の熊野、那智。そして山形県の出羽三山など。

神々へのお目通りにも「時期」というものがあるのだろうか。

写真は昨年12月、ちょうど阿蘇が噴火した頃に親戚から送ってもらったもの。阿蘇神社境内から阿蘇山を見ている。鳥居は阿蘇神社のもの。

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