唯一神教誕生の源泉

シュメール(スメル)国の周辺は、スメル族とセム族がいくつかの都市国家を有し、それぞれに神を祀っていた。それぞれの都市国家には王がおり、数千年の間、国家間の攻防が続いた。

やがて、ハムラビがこの地域一帯を統一し、バビロニア第一王朝を建国するにいたる。この時、世界で初めての法典、ハムラビ法典において、バビロン市の神を最高位の神と位置付けた。

これが、その後のユダヤ、キリスト、イスラムなどの諸宗教が一神教となるきっかけであると、この書には書かれている。

ユダヤ、イスラムの祖アブラハムもまた、スメル地方の一都市、ウルにいた。ウル市の神の名は「シン」。月神の名である。

一神教誕生の源泉的な根拠とは結果、自分の支持する神々、あるいは時々の権力者の出身地に関わる勢力争いに過ぎないのではないのか。

分かりやすく言えば、東京、大阪、名古屋、福岡の各地域でそれぞれ別の神をお祀りしていたが、ある時、日本国が統一され、首都が東京になったので、富士山浅間大社が最高神であると法律で規定したところ、いや、伊勢だ、出雲だ、熊野だ、いやいや熱田だ、住吉だ、宗像だと言い争いが始まり、やがて、殺し合いと殲滅戦(勝ったものが、負けたものが祀る神を破却する)が始まった。

こういうことと同じではないのか。唯一神教誕生の理由とは、案外単純なことなのかもしれない。しかし、当時、特定の神からの啓示が起こり、その民族に対して、そのように指示されることが起こったのだから人間としてはどうしようもなかったのだろう。

日本は、八百万の神々と規定した。だからこういうことは起こらなかった。 なぜ、あの地域ではこのように、特定の民族に対して、特定の神だけを信じろと言い始めたのか。しかも、各都市国家が祀る神々は、天神、海神、日神、月神、火神、地神などであるが、呼び名が違うだけというものもある。特に日神を祀る都市は多い。(下記参照)

「はじめに言葉ありき」

アダムとイブはリンゴの味を知って、男女の別を知り、やがて、欲を知り、分別(区別すること)を知るなどして、神の領域から人獣の領域へと堕してゆく。 言葉もまた、その中の一つのことである。

神々から見れば、 「言葉もまた禁断の果実なり」 とは言えまいか。

以下本文
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従来、高天原は国内説と国外説があるが、高天原は理想世界であって、決して地上ではない。天孫人種の祖国の意味に於ける高天原は、バビロニアのスメルであり、日神をウツと言った。

しかし、大日靈貴崇拝民族である後出雲族の故国が朝鮮であるが、断じて地上の高天原ではない。

皇孫瓊瓊杵尊はスメルの日神神宮名(ニンギルス)を負う御名であるが、大日靈貴、辛国(韓国)息長大姫大目命の子、天忍穂耳命は、朝鮮ツングース系の神話神であって決して天孫に関係を持たない。

(中略―スメル、アッカド地方の都市国家群の王位の遷り替わりの歴史が語られる)

バビロニアの本国はスメル時代の中期以降、スメル、アッカドの二州に分けられた。本来、スメル、アッカドは、スメル族とセム系種族との区分の称であった。 ハムラビ法典の冒頭に、「われは牧民の司なり、救世の主なり、、、、わが懐にはスメル、アッカドの民を育む。」また新バビロニアを征服したギリシャ王キュロスの自筆碑文(紀元前540年頃)には、「朕はキュロスなり、朕は軍隊の大元帥にして、又バビロニア王、スメル王、アッカド王位を兼ねる者、すなわち四国の大王にして」とあることによって知られる。

アッカドは北部バビロニアに属し、アッカド、シッバル、クタ、キシ、オピス、バグダド、バビロン、ボルシッバ等の諸都市の総名である。

スメルは南部バビロニアに属し、東北方の住民をキウリと呼び、南方平地の部族をケンヂと称え、ラガシ、ウル、エリヅ、ラルサ、ウルク、ニップル、イシン、ドールイルヘ、エレク、ウムマ、アダヅ(アダバ神話の出処で、旧約聖書の人類の祖アダム説話の原所)などの諸都市の総称である。ラガシが最も栄えた高度文明があった。

スメル国名の原所は定かではないが、アッカド国名の本源はアッカド市であり、バビロニア国の起因はバビロン市で、ギリシア時代に称えられた。大国名となったのはその後のことである。

バビロニアに於ける各都市には、都市の主神があり、その知られているものは以下の通りである。 (スメル地方 主神) ラルサ市 ウツ(日神) ラガシ市 ニンギルス(日神) ウル市  シン(月神) エリヅ市 エア(海神) ドールイル市 アヌ(天神) エレク市 アヌ(天神) ニップル市 ナブ(火神) (アッカド地方 主神) ボルシッバ市 ナブ(火神) キシ市  ザママ(日神) シッバル市 シヤマシユ(日神) アッカド市 ネルガル(日神)

バビロン市 マルズーク(日神) 日神は、各都市において名称が異なるが、その本名はスメル語で、ウツ(太陽、日神の義)、セム語では、シヤマシユ(太陽)と言い、月神はスメル語でシン(月)、セム語でエウルマシュ(月)と言った。

バビロニアにおける左右尊卑の思想は、其神座の順序、男神右(向かって右)、女神左、王は右、妃王子は左であるから、右上左下ろ知られる。我が国においても古代創祀に関わる、天孫人種系神社の神坐並びに社殿の順序は、右上左下である。しかし、中古の初期頃、朝廷の儀式は、左上右下に変改され、現在神社祭式もまたこれを踏襲しているが、神座の位置と矛盾するのである。

今日も南洋人種には、左右尊卑の思想はない。酋長は中心又は前面に位置するに過ぎない。日本における原始時代のマラヨ・ポリネシアン系前出雲派の神社や、ツングース系後出雲派等の神社には、左右尊卑が判然としない。

紀元前2250年、セム族アラマイ人がバビロニアに侵入し、スメル王のイシン王朝を倒し、初代の王をスムアビと言い、六代の後、エラムの一部将ハムラビに統一されバビロンに遷都した。時に紀元前2123年でスムアビより七世に当たる。これをバビロン第一王朝と言う。史的年代が明らかになるのは、ハムラビ以降である。

ハムラビ大王はバビロン大法典を編纂し、当時封建制度を郡県制に改革して統一し、又宗教を革新して、バビロンの主神マルヅークが「神の王」となった。

ハムラビ法典は、スメル時代よりの慣習法によって、一夫一婦制を規定し、第二妻を厳禁した。我が国に於いて天孫降臨にあたり、国神(隼人前出雲派、後出雲派等)は多妻主義であるが、天孫は一夫一婦主義であることが一致している。神話に美醜を以て云々とあるのは説話の変化に過ぎない。

古代の世界に於いて、スメル人を除く他は全て一夫多妻主義又は多夫一婦であった。後世キリスト教の一夫一婦主義は、バビロニアの思想による。

バビロンの主神マルヅークが最高神となるに至って、エンリル、アヌは権力を譲り、エアは隠れて助言者となり、マルヅークが、ウツ、シン、アッダド等あらゆる諸神の神格を包含して、一神教的傾向を現し、ユダヤ、キリスト教の先駆となったのである。

(写真:バビロンの文字 右が旧字、左が新字)

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