第一編第二 

天孫人種伝統思想の本源 天皇も神、国土も神、国民も天神地祇の裔である これこそが、神ながらの道の真意であるという。

この考えは、スメル国における思想と一致しているという。

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天孫人種の伝統思想は「神ながらの道」であり、その理想信仰は、スメル人の思想に淵源する。古代スメルの市王国は本来一族が一部落となり、市王国に発達したものであるがゆえに国家は一家の増大である。

スメルの君主は人民を赤子と呼んで愛撫し、人民は神父として敬愛した。家族主義が国家家族主義に発達したもので、君主大家長主義、君主中心主義であり、都市には主神があって神宮を中心とした祭政一致であった。

スメルの王は神の権化としてこの国土に天降り、君主即神と信じられた。いわゆる偶像崇拝的生神ではなく、神の表現たる修養に勉め、神格の自信を得ることで信仰とし、君主即神として天啓を下した。

主神である日神の神勅によって正義の政治を行うことを理想とした。 皇孫火瓊瓊杵尊の降臨は、史的事実として、吾田国長狭の笠狭であるが、高千穂峰の天降神話はスメル国に於ける数千年以前の理想信仰であり、皇孫の安国と知らすべき豊葦原国は、日本は無論、スメル国でもある。

日神の子である火神として国土に天降るという理想信仰は、スメルの国王は無論、我が皇室の伝統的思想であって、又一般天孫人種系諸氏も古代においては同一の思想であったことは、海神を祖神とし、日神、火神を祖先ということで察知できる。 この理想信仰があるから、天孫人種ともいうのである。この精神文明を無視して海を渡って降臨する意味に解するのは迷誤である。

天孫も天孫人種系諸氏も各日神を祖先とするのは、スメル人の理想信仰として、君民同祖、君主大家長主義の思想で、すなわち、皇室は日神の本系であるが、この思想は、日本書記、古事記等の新神話構成当時において、皇室及びツングース系大日靈貴の子孫という後出雲派を日神の後裔とし、諸氏は天神地祇の子孫であると改変された。

これは、極端な君尊民卑の支那思想や隼人、前出雲派等信仰諸種の事情によるものと思われるが、国民はなお理想と史実による君民同祖、君主大家長主義の民族大精神を忘れることがなかったことは幸運であった。

スメル国においては、君主も神の権化、国土も神の権化、人民も神の権化又は神裔であった。我が国においても、天皇はアキツ神、国土は神国、国民も天神地祇の裔であるから一致している。

君主も神、国土も神、国民も神裔という三位一体は地上高天原化の理想信仰である。

「神ながらの道」とは神性が宇宙の大生命即ち民族の大生命で、世界国家個人を除外しない、普遍的家族的の神であり、神武天皇建国の精神に「八紘にあり、世界を家となす」(日本書記にある『八紘一宇』の意 ― 八紘とは、八つの方角、即ちあまねくという意味である、一宇とは、一つの家となす、という意)とあるように、即ち国家は世界神国化、世界大家族化ということである。この普遍我的世界神国主義、世界大家族主義が、「王道国家の共存共栄主義」であり、実に数千年来我が皇室伝統の国家経営の大精神であり、天職であり、生命である。

スメルの光明教の生成化育の教えは、日本神道の根源であって、神道の神は本来民族大生命の崇拝である。民族大生命は宇宙大生命の表現神であるから、海神、日神、火神を祖先とした。

このような神と人との「連絡」は、家族主義によるものであり、外国諸宗教に見られるような、神と人との間に厳密な境界線を引くのは、個人主義であることと関係がある。

世界、国家、社会、家庭、個人の全てを除外することのない、普遍的包含の神。「神ながらの道」は「神そのままの道」である。

個人主義的専制を覇道の国家という。フランスの専制政治に反抗して、自由平等主義の共和政治を生み、更に極端な社会共産主義を生むにいたったのは、その原因は種々あるといえども、無神論的個人主義的社会によるものであるといえる。

皇太后陛下(大正天皇皇后―貞明皇后)編纂の「神ながらの道」の巻頭御歌に、

異国のいかなる教 いりきたりても とかすがやがて大皇国ぶり

と仰せられるように、我が神ながらの道の理想信仰は、いかなる思想も融合していくのである。 (第一編了)

(写真:今上陛下(明仁親王 当時)と共にある 大正天皇皇后―貞明皇后 wiki)

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