江戸時代(元禄期)、長崎の出島にいたドイツ人のケンペルは、「日本誌」によって、当時の日本の国情と日本という国の成り立ちを欧州に伝えた。この書物は、「鎖国論」とも言われ、江戸時代の鎖国による、日本という国家や社会システムのあり様を肯定的に伝えている。
彼は、日本人の紀元をシュメール人だとする説を最初に唱えており、古事記などの神々(高天原)の紀元はバビロニアにあるのではないかと、語っている。意外なことだが、日ユ同祖論も、シュメール起源説も、日本人が唱えたものではなく、江戸から明治にかけて日本に渡来した西洋人によって、語られたものだ。
当時のこれら渡来西洋人達は、世界中を旅して回っていたものと思われる。現代よりもはるかに地域毎の独自色の強い当時の世界にあって、日本という国を見聞した際に、彼らが感じたある種の確信は、非常に深い意味を持つものと思われる。
さて私は、鎖国主義者でも、日本は再び鎖国すべきだとも思わないが、一方で、江戸期の日本が、鎖国政策を行ったことで、当時における世界最高水準の都市文化、町人文化を形成し得たことは、非常に興味深く考える。
一般的に、門戸と閉じるということは、発展とは逆行する行為であるはずが、発展し得たということ。
世界の歴史の中で、門戸と閉じることで、文化も社会生活も進歩した事例がどれだけあるのか分からないが、恐らく稀なことだろう。
これからの世界の社会の発展を考える上で、日本の江戸期の社会システムの解明は、日本でというよりも、むしろ世界において研究されるべき対象となる可能性が出てきていると思われる。
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”宗教的世襲皇帝”の王朝は、キリスト以前の六六〇年がその始まりである。…この年からキリスト紀元一六九三年にいたるあいだ、すべて同じ一族に属する一一四人の皇帝たちがあいついで日本の帝位についた。彼らは、日本人の国のもっとも神聖な創健者である「テンショウダイシン」(天照大神、あまてらすおおみかみ)の一族の最古の分枝であり、彼の最初に生まれた皇子の直系である等々のことを、きわめて誇りに思っている。 ? エンゲルベルト・ケンペル、『日本誌』 wikiより
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