日本人の国際感覚にはちょっとまずいところがある。

これは日本人全般に昔から極めてしばしば見受けられることだが、あなたがもし中国人や朝鮮人あるいはアメリカ人でも良いが、非常に親しくしている友人がいたとしよう。

仮にそれらの友人がとても素晴らしい人であり、そして極めて尊敬できる人間であったとしても、それによって、中華人民共和国という国家や朝鮮半島という土地柄が、「良い人」になったり、安定した土地になったりすることはない。

日本人は個人的な人間関係と国家とか地域や土地柄を混同して考える傾向がある。

日本人が「優しすぎる」と言われる所以である。あるいは国際感覚が欠如しているといわれる所以でもある。

人間交流は大切なことである。これからもそれは必要なことだ。

それがもしかすると国家間の関係に影響する可能性は否定できない。しかし、どこまでもそれは部分的なことだと肝に命じておくことである。

個人を通して、国家やその関わる土地や地域全体に過剰な感情移入をしてはいけない。

あなたが仮に、中華人民共和国という、あるいは中国でも良いしシナでも良いがそういう国家的な対象との関わりを見て行こうと思うなら、アプローチの仕方を変える必要がある。

人格と同じように、人間に人格や性格があるのと同じように、国家にも人格や性格のようなもの、あるいは宿命のようなものが存在する。

そこを見なければならない。

一人の愛すべき朝鮮人と、朝鮮半島という「人格」を混同することは危険なことである。

あなたが朝鮮半島というものを考えるときには、朝鮮半島という「人格」「性格」を見つめ、対話しなければならない。

個人は個人。国家は国家。土地は土地である。

言い換えれば、その土地にはその土地の神々や神霊、人霊、自然霊が支配しているということだ。個人というのは、それがどれほど「良い人」であろうが「悪い人」であろうとも、どこまでもその影響下にある、ただの一粒に過ぎない。

下からの目線で「上」を見渡してはならない。

このように見て行く。

八百万の神々の視点で見て行く。

日本人ならば理解できるはずである。

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