人が受胎すると数日後にそこへ所縁の霊魂が入ると言う。

要するに人の肉体は自動車と同じである。

霊魂は、運転手。

運転手がいなければ自動車は動かない。

超高級車に乗れば、運転手は三流でもそれなりに見えるし、ボロ車でもF1レーサーみたいな霊魂が運転すればなんとか様になる。

天才はものすごいことを世に現すが不遇の場合もある。これはある程度乗る自動車にもよるかもしれない。

人間というものをそのように考えていけば、おおよそ人の全体像は見えて来る。

例え神霊がそこに宿ったとしても、肉体としての宿命は免れない。

イエスキリストの受難とはそういうことだ。

しかし、肉体が滅び、霊魂だけの存在に戻ったものを、私達人間が、心を向け、敬いの気持ちを捧げることは有意義である。

神霊から英霊までも。土地に宿る神霊や人霊や自然霊にいたるまで。

その意味で、神道は、極めて理に適った、システマティックな、優れたものだということが言えるだろう。

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