「草薙劔と遠呂智族」を読んで

戦前の昭和十七年発行の書籍「日本民族論」の著者白柳秀湖は、当時満州地域などを実際に歩き、満州にオロチ族、シベリアにオロチョン族があることを知った。

日本語に「オロチ」という言葉から意味を見出すことができない。オロチ=大蛇とは当て字に過ぎない。これはオロチ族又はオロチョン族のことであろうと。

岩手県の一関市のあたりに坂上田村麻呂に因み遠呂智族と考えられる事跡があるという。砂鉄を扱っていたんだと。

「草薙劔と遠呂智族」の著者は、遠呂智族は高志の国にいたという。オロチ族は渡来民として日本に移り住んでいたのだと。

伊吹山の周辺に極めて珍しい神社がある。

伊富岐神社(岐阜県 美濃国二宮)、伊夫岐神社(滋賀県)であり、祭神は八岐大蛇大神。

極めて珍しい祭神であるという。

伊吹山の山神は遠呂智であると。

伊吹山は琵琶湖から若狭湾を巡る場所にあり、越の国を見渡す位置にある。

景行天皇の御代、伊吹山周辺に遠呂智族はいたのかもしれない。ヤマトタケルが襲われたのは遠呂智族であったかもしれね。筆者は言う。

では遠呂智族はどのようにして日本に渡来したのか。

古代、越(高志)の国は極めて栄えた地域であり、今で言えば横浜や神戸といった交易の栄えた地域であった。

事実、当時多くの渡来人達がこの地に上陸している。

どのようなルートがあったのか。

この書では触れられていなかったが、朝鮮半島経由ではなく、渤海使と同じルートもあったのではないか。

今のウラジオストクあたりから、能登半島のあたりへ至るルートである。古代においてもそういうルートが存在したのではないか。

シベリア満州地域から日本へ渡航するルートはその方が近い。

あるいは、より北方、樺太から北海道を経由するルートもあったかもしれない。季節限定ではあろうが。

渤海と当時の日本との外交関係を考えると、渤海は軍事的には強かったのかもしれない。

八岐大蛇とは高志の国にいたリーダー達であったと、書籍「古事記の宇宙」には書かれていた。

話が合致するようである。

遠呂智族は鉄を扱うことに優れていたらしい。

三貴子(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)が誕生すると、アマテラスは高天原、ツキヨミは夜、スサノオは海を、それぞれ治めよと命ぜられる。

スサノオは日本海を統べる者。その象徴としての、神器としての劔。

今までスサノオと「海」がどうしても結びつかなかったが、ようやく理解でき、そして繋がった。

宗方三女神もまたスサノオの子であった。

東アジアの安定の印としての宝器「草薙劔」

このように考えて行く必要がある。

今の日本に最も必要とされるものである。

「御劔に 祈らば 戦わずして勝つ 神風」

富山能登の神社を巡ってのち、此処まで辿り着いた。

土地を歩き、その土地の神々と向き合うと、そこにいる様々の神々や霊魂が知らず知らず情報を与えてくる。

私はただ、依り代であるに過ぎぬ。何を考えもせずいつの間にか文字が走る。

昨日、朝鮮半島を巡る周辺の関係史を顧みた。やはり半島には深入りしてはならぬ。そう思った。

横須賀や東京に向けて、ミサイルが飛行すれば、富山、石川辺りを通過するに違いない。

ミサイルとオロチが重なった。

しずめたまへ

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