仏教と墓
日本仏教は葬式仏教ともいわれるが、仏教の発祥地インドにおいては、墓はほぼ存在しない。インド発祥の宗教は仏教を含め、輪廻転生の思想があり、死ねば魂は肉体から離れるという視点から、死体を重視しない傾向がある。
従って、仏教=葬式=墓と言った在り方は、日本における固有の状況である。
ただし、インドにおいては、釈迦の骨を舎利塔に埋葬して礼拝するという習慣がある。これらの習慣は東南アジア等の仏教国に伝播した。しかし、日本にこの習慣が正式に伝わったのは、明治期以降である。
日本の仏教は中国経由で流入したため、祖霊崇拝を軸とする中国発祥の儒教とが、中国において習合したものが、日本に入ってきた可能性もある。
しかし、意外なことに中国においても墓は、皇帝などの墓はあるが、一般庶民の墓は日本のようには見受けられないようである。少数民族や特定地域には、多数の墓が存在するところもある程度で、中国人=儒教式墓の存在、とは必ずしも言えないようである。
韓国では、儒教式の土葬が多いようだが、一山に同族の土葬墓を集める形式が主であり、これら儒教式の埋葬方式は、主に李氏朝鮮時代以降に発達したものである。李氏朝鮮時代は、日本の南北朝時代(室町期)以降に相当する。ただし、山に一族の遺体を集めるという考え方は支那経由ではないかもしれない。
山に祖霊(神)を祀るというのは、日本の古代にも存在する。しかし、これを朝鮮由来とする説が今の学界では主だとしても、流入経路は逆で、日本本土に古来からあったものが、和人の生息域であった半島南部にも存在したのではないか。
古代朝鮮を三韓以前に遡ると、北半分は、支那の領域であり、南部はまとまりのない集落郡が存在しただけで、独自の影響力ある文化が存在した形跡がないことからも和人の影響は無視できない。
さらに、古事記等の記載にも古代三韓地域にスサノオなどが経営に赴いたという記録。三韓以降も和人が国家経営に大きく関わったという朝鮮の古代史書における記述からみても想像される。
家族一族が同じ墓所に埋葬される風習は、沖縄にある。
日本では、鎌倉時代、既に武家の仏式墓が存在しており、天皇は、古代から土葬が中心であった。
祖霊崇拝の考え方は、日本に儒教が流入する以前から日本に存在しており、儒教流入以降、オリジナルの方式に、儒教的な祖霊祭祀の手法が習合されたものと思われる。さらにそれらが日本仏教の中にも取り込まれて現在のような日本的仏教形式が出来上がったのであろう。
このように考えると、日本仏教は、オリジナルの仏教からは大きく異なった独自のものであることが分かる。
オリジナルの仏教は、死者はあまり関係ない。今生きているものが、いかに輪廻転生から脱却するかを説いた。
日本仏教が死者供養を重視するのは、大乗仏教による、来世成仏思想も大きく関係している。
仏教が日本に流入して以降、それは日本文明の価値観と基盤に取り込まれ、習合し、独自の日本仏教として成立したのである。
仏教的な価値観、縁起の法などの思想は、日本的に吸収され、「無常感」といった文学的な概念にも変貌し、平家物語や謡曲などの名作を生み出し、日本人の感性をさらに研ぎ澄まされたものに育んだのである。
(写真:女面 「増女(ぞうおんな)」 江戸時代 東京国立博物館蔵 wikiより)
