出雲国譲りの時代から、この国では敵対した相手であっても勝者が敗れたものを篤く弔うという高貴な感性があった。

こういう感覚は世界の他の国の人が見ると不思議に思うことがあるらしい。なぜ敵の魂を弔うのか。わけがわからないと。はじめはそれが理解できない。

戦国時代でも勝者が敗者の屍を弔ったということがよく知られている。

そういう武将の家は今でも残っている。

敵対するもの、権力闘争において地位を失ったものに対しても敬意を失わない心はなぜ日本人に備わっていたか。

日本人特有とも言えるだろう、ある種の人間に対する『性善説』と『安定安心』の感性の起源のひとつに、出雲大社の造営があるだろう。

敗れたものの墓を破壊し、あばき、その屍に唾を吐いて、踏みつけにする。対馬海峡の向こう側ではそういう感性が日常である。

「墓をあばく」というのはシナ文明の一部かもしれない。これは日本文明とは真逆である。墓ですらあばかれ、破壊されるのだから。他は推して知るべし。

そういう感性の地域では伝統も歴史も正しく残りにくい。大概は何もかも破壊されてしまうからだ。そしてしだいに人の心もすさみあれる。人間に対する不信感をぬぐうことができなくなる。

国民や民族の結束などというものは型通りで、金と権力の切れ目が縁の切れ目。いつどうなるかわからない。信じられるのは身内だけ。いざとなったら有り金もって逃げ回る。そういうことになる。

シナでは、秦の始皇帝の陵は発見されたが、それ以外の歴代の皇帝達の陵墓はどうなったのだろう。あまり話を聞いたことがない。

西洋でも墓をあばく、とまではいかないだろうが、出雲大社のように、篤く、高く祀るということは彼等の歴史にないだろう。

中南米では、マヤやアステカ文明の祭殿を破壊し、神官達数千名をそこに生き埋めにして、その上にキリスト教会を建てたのが彼等のやり方であった。

それでも、第二次世界大戦後、日本に進駐してきた米軍の司令官は、横須賀にある戦艦三笠が米兵のダンスホールになり荒れていたのを憂慮し、これを元の姿に整備するよう命令したという話がある。その司令官は東郷平八郎に対する敬意を失わなかったからだ。そういう話はある。勇敢さと偉大さを称え敬意を払う気持ちは失わない。

世界史では、通常ある国の支配者がその地位を失えば逃亡する。亡命するとかなんとか。もちろん勇敢な者は闘いに討ち死にする例もある。しかしだいたいは逃げる。

ところが、敗れても逃げるどころか、挙句敵将の元に赴いて、

「私の身はどうなっても構わない。しかし国民のことはなんとかしてもらいたい。」

と自ら交渉するなどという支配者が歴史上他にあったのかどうか。極めて皆無に近いだろう。無二かもしれない。

天皇に「支配者」という表現は適当ではないが、日本文明の代表者であることは疑いがない。

昭和天皇のあの当時の事績を見ることで、日本という国家が幕末明治以降の大難において、世界史に稀に見るような結果を出したことの意味がようやく理解できる。

二千年の蓄積は大きい。

天皇の存在が失われなかったことが、この国の安定と発展、そして人心の素直さに欠かせない役割を果たしたことは疑いがない。

祈る存在としての天皇。国土安穏と国民の無事と平安発展を祈る儀式は、天皇により万世のもとに続けられてきた。

そして、その尊い存在が失われないよう守り続けた賢明なる先人達の存在も忘れることはできない。

そのような心が失われることのないよう、後代に引き継いで行けるよう、伝え続けることは欠かせない。それは日本人としての責務だ。

なくすことは極めて簡単である。事実そのような危機はいくらでもあった。

しかし、一旦亡びれば、それを再び蘇らせることはほぼ不可能であることは歴史が証明している。

それを肝に銘じることは日本人としての最低限の見識である。

「天皇も国民もみな平等だ」

としたり顔でいうものがいる。

ではそういう人々に言いたい。

「あなたはあなた一人で二千年の蓄積を背負い、保持していけるのか。またそれだけの見識それ自体があなたにあるだろうか。」

天皇とは個人ではない。文明の蓄積そのものであり、日本文明そのものの体現であり証明である。

時代時代の天皇個人にも御人柄はあるだろう。しかしそれは「天皇」の本質とはあまり関係がない。

大嘗祭によって、新天皇に、その人格に関わる「天皇霊」が宿る。それによって「天皇」が誕生する。

「天皇」とは文明の体現者であると同時に日本という国土の歴史とそれに関わる神々と先霊の仲介者であり代表者である。

それによって国柄は現され、保たれ、国体が維持される。

国体とは日本文明の「核」のことである。

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