「令和」の時代を生きるものの使命とは?
令和以降の日本文明を日本人全てが引き継ぐ意思をもつことの意味について
1月ほど前、皇族問題に詳しい方とお話をする機会がありました。
三笠宮が4月30日のNHKの番組の中で紹介されていたように、
華族をGHQによって失ったことは、外堀を埋められたようなものだと。
私がお話しする機会をいただいた方もお話されていましたが、今の学習院は、天皇が正しく日本文明を継承するための教育を行う機関では「もはや」ない。むしろ左翼的だと。
皇族方が学習院以外の教育機関を選択される理由が分かるような気がします。
日本文明の継承者としての天皇という存在は、単に天皇がいればいいということではなく、それを護持する意思を持った多くの人々が支える決意を持って臨まなければ不可能であると。そんな簡単なものではないと。
それが、その時話をした結論でした。
明治から昭和二十年八月十五日までは、華族制度がそれを篤く支持し、江戸以前は、古代からの継続によってそれは日本人全体として「無意識的にも」護持されてきた。
しかし、今現在、それはいずれも形を失い、日本文明それ自体が、日本国の中で孤立している。
私は思う。
かつて、日本文明を武家や公家が命がけで支え、それをほぼ全ての日本国民が支持してきた、その優れた形。
それが今や崩壊の危機にある。
ならば、あらためてそれを、日本文明を保持し、そのために貢献したいという強い意志に根差した人々を結集する必要があるのではないか。
教育機関もそう。天皇の宮中祭祀を引き継ぐための教育機関は今はもう存在しない。それを起ち上げる必要がある。
形式的に、「肉体の」天皇が継承されても「本質」が伴わなければ、存在自体が無意味化してしまう。それは日本文明の形骸化である。
そういうことを含め、日本人が自らの文明を護持するために力をつくすということが、
「令和」
という時代の最も重要な役割の一つになってくるのではないか。

