コロナの悲劇に世界がみまわれているこの時、西洋文明に関しての記述で悲劇的なことを書いた。

ユダヤ民族の歴史、イエスキリストの生涯。それらは全て悲劇によってあがなわれる(魂の救済)思想に基づいている。

人は悲劇が好きだ。人気のドラマや映画や舞台のほぼ全てに「悲劇」が主要な要素として盛り込まれる。

人がこの二千年間にユダヤキリスト教文明に魅了されたとしたならば、少なくとも人類の半数以上がその影響下にあるという事実を目にした時、人は悲劇が好きなのだろう。

今人類に与えられた悲劇を自らが体験する立場になった時、それでもやはり人は悲劇が好きだろうか。

しかし、人がそれを魂の奥底や、心の奥底でそれを望むならば、それは起こるべくして起こるだろう。

私はただ、その人間の歴史を俯瞰して、今起こっていることを見つめているだけのことである。

悲劇によって人の罪はあがなわれるのか。
人はそれによって救済されうるのか。

しかし、それがユダヤキリスト教文明の核心である。

ところで、日本文明にはそのような要素はない。

日本文明はその意味で人類にとっては劇的要素は欠けるだろう。

とは言え、悲劇は、距離を置いて見ているから魅力的に見えるのではないか。

己が魂の救済のために、己が肉体と魂に鞭打ち続ける勇気ある者は一体どれほどいるだろう。

(写真:磔刑図(アンドレア・マンテーニャ画、1459年)wikiより)

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