幕末以降の政治など見た時、薩長は明らかに外政が際立って得意であり、一方徳川は内政が上手かった。

明治以降の外政において、薩長閥が有効な時代は、対外的に世界の中で抜きんでた。ところが薩長閥が弱くなってくると、急激に対外政策の「脇が甘く」なる。

東条英機は山形県出身だし、山本五十六は佐幕方の中心長岡出身である。(国内において、世間一般には山本五十六は評価が高いが、個人的には軍人としてあまり評価していない。)

日露戦争で圧倒的な勝利をしたのは、東郷平八郎指揮の日本海海戦で誰の異論もないだろう。

東郷平八郎が日本において「軍神」とされているのは私から見れば「当たり前」の話であり、知的で歴史を知る海軍軍人であれば、現代においてもなお、国籍に関わらず東郷に敬意を払わない海軍軍人はいないだろう。事実それに関する逸話には事欠かない。

戦争をやらせれば薩摩人の押しの強さはピカ一でそれは「西郷さん」の江戸開城でも明らかだろう。「神武東征」を彷彿とさせる。

押しが強くなくても、軍事力があればそれで相手を屈服できる。しかし、軍事力を行使しなくても、ほとんど押しだけで相手の門をこじ開けるなどという力業の芸当は誰にでもできるものではない。

一方、外交の手腕は、長州人に才のある人物が多い。

伊藤博文、山県有朋、桂太郎など緻密で相手の出方の本質をかぎ取って先回りして手を打つ能力は、戦後も引き継いで、岸信介、安倍晋三など対外的な戦略眼を持って政治を運営する能力は、どういうわけか抜きんでている。

日本人は一般的に国際社会の中において「お人よし」とされるが、長州人にはそれが希薄だと思わる側面がある。大陸から近いか遠いかという地理的な要因も大きいだろう。

戦後で見ると、内政で成功した政治家と言えば、田中角栄が思い浮かぶが、彼は長岡出身。日中関係で特異な外交を展開したが、彼の弟子たちが角栄の死後、中共の手下のような役割に落ちたのは何か角栄自身の本質的な「脇の甘さ」に起因しているような気がしてならない。(角栄自身は本来そういう意味や目的で日中友好を切り開いたわけではないが)

長州人は一般的に国内的には、人気が悪いかあるいは敵が多いが、対外的な政策では、時間がたてば実に合理的な判断で政治運営をしたと評価されることが多い。

徳川幕府の政治は、国内政治という意味では極めて巧みであった。

徳川幕府は、極めて合理的な運営手法で、西洋や支那などで一般的な「支配者総獲り」の、全ての富と権力が一点に集約されるような、極端なピラミッド型階級社会とは全く違った循環型社会を構築した。

人それぞれに職掌があるが、どのような立場においてもプライドや役割意識を持てるように「富と権力と役割の住み分けのバランス」を保つようにすることで、人それぞれがそれなりに自らの立場にプライドと役割意識を醸成できる社会構造を構築することに成功した。

これが明治以降の急速な近代化を成し得た原動力になったことは間違いないだろう。一方、中国大陸や朝鮮半島などでは未だに近世以前の社会システムから抜け切れない状況が続いているのとは大きな違いがある。

江戸時代の社会システムは、それまでの世界史上に類例がないほど優れたものがあったのではないか。もちろん現代人から見れば改善の余地は多数あるとしても、世界の社会学史上においてもっと評価されなくてはならないものの一つであるはずであると私は確信している。

日本の歴史と、日本と国際関係。それと同時におのおのの時代において、様々な事象に関わった人々の出身地域とその具体的な功績というのは、ある程度参考にしていくべきだと私は思っている。これはその地域の発展にも寄与するだろう。

これは政治的な分野だけでなく、経済、文化などさまざまな分野を見た場合にも、大きな因果関係があるはずである。

地域とそこに生きた人間の気質や才覚というのは、ある程度の確率で関連性がある。地域が人の才能才覚を醸成するという傾向は確実に存在している。この傾向はその人の先祖が特定の地域に関わりがある場合も含まれる。

もちろん、お笑い芸人で才能ある人物が全て大阪人ではないのと同じで、他の地域においてもその分野で才能才覚のある人物がいるのは言うまでもない。

とは言え、その地域とそこに所縁の神々にも、おのおの得意な分野というのはあるのかもしれない。

神々にそれぞれ御役割があるのと同じことである。

(写真 東郷平八郎/桂太郎/徳川家康)

Exit mobile version