アニメと日本文明-神道的なるもの

今「鬼滅の刃」というアニメが空前のヒットを記録している。日本映画の歴代興行収入を見ると、

1位 千と千尋の神隠し 308億
2位 君の名は 250.3億
3位 鬼滅の刃 無限列車編 204億

ということになっているが、鬼滅の刃は千と千尋を抜くと見られている。

この上位3作だが、取り上げ方はそれぞれあり作者の意図がどこにあったとしても、いずれも話の核になる部分に神道、あるいは日本の神々の世界観に関わる要素が引用されている。

子供の心は騙せない。

若い人々の魂を震わせるものが、日本の古来からの伝統的な要素にあるというのは極めて興味深い。

戦後米軍が進駐してきた際に、マッカーサーは7000人の宣教師を日本国内に送り込み、日本人を全てキリスト教徒にすると意気込んだが全くできなかった。

江戸時代以前から日本はカトリックの布教重点地域(鎖国時代を除く)に指定されていたが、近年日本は布教重点地域から除外されたという。

ザビエルの往復書簡(鎖国時代以前)などを見ると、当時彼が日本国内の民衆に全力で布教している姿が詳しく報告されているが、人々の質問に答えることができず苦悩している様子が伺える。日本人から見た時、キリスト教の思想というものは多くの矛盾を感じるものであったからだ。

「日本人は非常に頭が良く優秀な人々です。連日のように質問攻めにあっておりますが、彼らはなかなか素直に納得してくれません。」

というようなことをザビエルは書簡に書いている。

思想や理屈や戒律で人をがんじがらめにして「従わせる信仰」というものを日本人は本質的にうさん臭いものだと知っている(感覚的に分かっている、あるいは体感している)のかもしれない。

人と神との関わりというものは最終的には、常に極めて個人的なものであり、人それぞれ受け取り方は違う。そこから生まれ出る世界もさまざまなものがあるだろう。

それを、どこの誰だか分からない「生身の人間」が考えた理屈の積み上げや集積からの「決まりごと」を押し付けてみたところで、必ずどこかでひずみが出てくる。

それこそが世界中で今起こっているさまざまな難問と課題の起点に横たわっているような気がしている。

所詮、理屈や思想や、戒律も含め、それらはそれ自体が真理や真実を具現化できるものではない。それを得るための部分的なサポートにはなるかもしれないが。

神道の優れた点は、人間の「思考」を超えたところで、人と神々が接することを「本意」としているところにある。

「思考」に人の意識を留めさせた時点で人や社会はやがて行き詰まる。

これから、世界が荒れ狂い、気づいてみたら、日本が一番ましだった、ということになった時、その理由が日本文明にあり、その核心に神々の織り成す世界観がある「のかもしれない」ということに世界の多くの理知的な人々が気づくことになるだろう。

その時、日本人自身が、この国の文明のすばらしさを体感し、確信していることは重要なことである。

https://kimetsu.com/

Exit mobile version