三島由紀夫と芥正彦

三島由紀夫の東大における全共闘との対話において、当時全共闘の思想的中核とされた芥正彦が近年三島との当時について語っている。

彼はスタイリッシュを装い、ニヒルな面持ちで話しを進める。しかし彼の話の内容に中身はなく、たんなる体制に対する反骨心と怨念のようなものに支えられた魂が、それにもとづいて理論をあれこれ展開するという風にしか思えない。

彼は彼なりに自己表現をさまざま模索して世に問うているようだが、恐らく後世には何も残らないだろう。残るとしたら、彼の怨念。大東亜戦争という理不尽な戦いを強要されて無残に死に果てた同胞を代表する御霊。

「アンチテーゼ」というのはそれ自体が、その要素しかない場合において、その本質が後世の人々の高進になることはあり得ない。民族の力になったり新たな人間の力ある核心になることはない。

何故か?

それは単なる、怒り、恨み、怨念でしかないからだ。それらは次なる争いと殺戮の淵源にはなるだろう。

三島は残るが芥は夢幻の如し。ニヒルとは虚しさであり虚無だ。虚無はその瞬間においてスタイリッシュだが、そこに本質はない。

芥正彦という人間はそれを典型的に示しているが、それはしかし、「戦後」という「この国の悲劇」を醸成した淵源にある、

『祀ろわれぬものたちの怨念』

の「総代」としての彼、ということだと思う。

彼の思想やライフスタイルは、戦後。昭和から平成にかけて主流を形成した。

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