日本古代史における最大のミステリーはニギハヤヒの素性と扱いの問題である。私はこの問題に以前からかなり興味を持って取り組んでいる。

最近になり、ふとある認識が芽生えた。

倭国大乱とニギハヤヒの問題はリンクしている。

倭国大乱が女神アマテラスを誕生させた最大のきっかけではないか。というものだ。

キーワードは倭国大乱。正しくは和国大乱だが、この記述は古代中国史書に登場するもので、「倭」の文字は彼らの周辺民族や国家に対して使う「蔑称文字」であり、当時の日本人は自分達の国家を「ワ国」と名乗り、後それを「和」と称しさらに「大和-ダイワ=ヤマト」と称したことはもはや疑いがない。

卑弥呼も同じく蔑称であり、ヒミコ=日の巫女=大日霊尊(大日霊貴)のこと。同時に邪馬台国も同じく彼らの蔑称で、ヤマタイコクではなく、ヤマトコクだ。音読みに卑賎な漢字をあてて蔑称とする支那の歴史書の慣例に過ぎない。

いつまでも邪馬台国はどこだと、まるで謎の国家のように言う者がいるが、台はタイ(ダイ)とも読むが、トとも読む。卑弥呼の子、台与はタイヨ(ダイヨ)ではなく「トヨ」と読むではないか。

何をいつまでも「ヤマタイコク」と言い続けるのか私には理解できない。

それはさておき。

支那の歴史書に出てくる「倭国大乱」について見てみると、

魏志倭人伝では、

「其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿」

其の国、本亦(また)男子を以って王と為し、住(とど)まること七・八十年。倭国乱れ、相攻伐して年を歴(へ)たり。乃(すなわ)ち共に一女子を立てて王と為し、名づけて卑弥呼(ひみこ)と曰ふ。祭祀を事とし、衆を導いた。(中略)卑弥呼死するを以って大いに冢を作る。

(「鬼道」を祭祀と変えている。「惑わす」という文字は導くとした。これも支那の周辺国に対する蛮族扱いに関連していると思われるので。)

後漢書東夷伝では、

「桓 靈閒 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主 有一女子 名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立爲王」

桓帝・霊帝の治世の間(146年 – 189年)、倭国に大乱あり。互いに攻め合い、長年主となるものがいなかった。年長だが未婚の、卑弥呼という名の一人の女子が有り、祭祀を用いて衆を導いた。卑弥呼を共に王として立てた。

どちらも、ヒミコという祭祀を行う女性が、王となったと書かれているが、どちらの書にも「共」という字が見える。これは男王(あるいは男王達)との並立と見るべきだろう。

古代において、天皇の役割は二つあり、一つは統治王。もう一つは祭祀王であるという話は、竹内睦泰氏が自身の書に記しているが、竹内氏の説を支持したい。

氏の書の中に記載されている内容が全て引き継がれた情報であるとは限らないが、武内家が千年以上に渡って引き継いだ知識は、机上の学者の理論より重い。このように極めて重要(武内家にとっても極めて重要な項目であろう)な項目に関し、伝来の情報を無視して氏の個人的な意見だけを記したとは考えられない。

さらに、氏の書中の記載によれば、ヒミコとは女性による祭祀王の総称であって、一人ではないともいう。神功皇后もヒミコと言えるし、大日霊尊(大日霊貴)もヒミコであると。

語源的に考えれば、日の巫女、すなはち、太陽神を祀る巫女と言う意味だから確かにそうだろう。

さて、和国は大いに乱れたが、祭祀王として、女性の王を共に立てることで争いが収まった。これは以前までは、男の王のみで統治したが、国が乱れたので、強い祭祀能力をもった女性を祭祀王として、男王(あるいは男王達)と共に王として並立させたことで大乱は収まり安定したという歴史的な事実を裏付けしている。

魏志倭人伝には、その後、「卑弥呼死するを以って大いに冢を作る。」とある。

これが伊勢神宮の創祀のことだろう。

要するに、祭祀王としての女王を「女神へ格上げ」したのである。

古代の天皇は歴代、三輪の國魂=大物主=ニギハヤヒを国家の守り神として重んじたが、これは男神である。祖神が男で、天皇も男では良くない。国が乱れる。再び大乱が起こる。

国を安らかに治めるためには、過去の事例に即して、女神を国家の祖神として祀り(祭祀)、天皇は男子(男王)とする(統治)こととした。

そこで、大日霊尊(大日霊貴)=ヒミコを皇祖の祖神として祀り、国家の守護神とした。

スサノオやニギハヤヒはそれまで、大和やその他諸国の守護神=大神として大いに祀られたが、これ以降、これらは「裏神」として、次第に神名を変えたり、秘されたりされた。

物部氏の史書「先代旧事本紀」では、ニギハヤヒの神名は、

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 

であると記載されている。天照国照だから本来は天照大神とはニギハヤヒのことだと。確かに、そうだったかもしれない。

いずれにしても、当時の天皇を含め、これらの神々への人々の深い崇敬心は、古代から現代まで引き続いている。

近年、スサノオやニギハヤヒは、消された神々として、陰謀論的な論考、あるいは藤原不比等の陰謀だなどという論が流行した。確かに時の為政者にとって都合の悪いことは書かれなかったり、ごまかされたりした部分はあったであろう。

しかし、これらの神々の真意が隠された真の本質的な原因は「倭国大乱」にあると私は確信する。

皇祖神=女神
天皇=男子(あるいは男系)

でバランスをとったのだ。この原理に基づいて、初代天皇は神武天皇とされた。神武の先祖に大日霊尊(大日霊貴)がいること。神武の妃は、ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛)で父は大物主とされている。

二代綏靖天皇以降は、大日霊尊(大日霊貴)とニギハヤヒの両統の血を引き継ぐことになる。これ以降、男系男子の原則が確定したと私は確信する。

皇祖神=女神
天皇=女子(あるいは女系)

では、男子の居場所がなく、これこそ「男性蔑視」だろう。日本文明は、女神が祖神である以上、本質的に女性中心の文化文明であると言える。

これを覆すには、皇祖神の変更と皇統の引継ぎ方法を根本から変えることが必要になる。

しかし、ここに記載してきたような深い認識を全く欠いたまま、無知な現代人が勝手気ままに、時の気分や日本文明とは無関係な西洋の価値観をひっぱりだして、いじくりまわすなどということは言語道断の所業であり、それこそ「神をも恐れぬ行為」であろう。

そういうことを行うと必ずとんでもないことが国中で引き起こる。

ニギハヤヒの系譜について

その昔自分は、ニギハヤヒはスサノオの子であると思っていた。それはいくつかの代表的な著作の影響によるところが大きい。

しかし、ある頃からその考えは揺らいだ。

前記、竹内睦泰氏の著作には、大物主はニギハヤヒでニギハヤヒはスサノオの子であると書いてあったので、私は、書の内容にはほぼ同意したが、ニギハヤヒがスサノオの子であるという部分のみまだ納得がいかない。とFacebook上で書いたところ、その翌日に竹内氏が自身のFacebook上で、ニギハヤヒはスサノオの子で絶対に間違いない。と相当に強い調子で書き込みされたので驚いた。

氏と私はFacebook上で友達となっており、何度かやり取りしたこともあったので、恐らく私の記述を御覧になったのだと思った。

しかし、先代旧事本紀にも、海部氏系図などにも、日向系の系譜に入れられている以上、完全にはうなずけないものがある。

もっともこれらの氏族が自分達が天皇家に直結する氏族であることを語り優位性を作ろうとしたという可能性はないではないが、ただ私家版の系図や史書に嘘を書く必要があるだろうか。

むしろ真実を伝えてこれを固く維持させようとすることの方が確率的には高いのではないか。たとえ表向きは違うとしても。

一方で、丹後国一宮の籠神社は違うが、日本海側の京都あたりから北陸方面にある神社の多くに、ニギハヤヒとスサノオ(あるいはオオクニヌシ)を結びつける由緒が見えることを考えると、スサノオ系(出雲系)というのも事実だとすれば、何等かの形で両統の血を受け継ぐ存在ではないのかと考えている。

ニギハヤヒ
饒速日命
邇藝速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

ニギハヤヒという神名だが、出雲系、日向系両方の系図を見ると、出雲系には「速」という字はスサノオなどに見られる。

一方「日」という字は出雲系の神名には見受けられない。太陽神を表現する名だが出雲系には太陽神信仰を感じさせるものはあまりない。

太陽神信仰は日向系あるいは海人族系に見られる。

また「ニギ」という読みも「ニニギ」のニギに近い。「火明」という字も太陽神に因むものだと言われる。

天照国照とは天津神と国津神、日向系と出雲系の両方を併せ持つ意味があるように見える。

少なくともこのような神名は純粋な出雲系には見出せないことから、やはりニギハヤヒを純粋に出雲系だと認める気にはなれない。

Exit mobile version