こんな話は知らなかった。長州と会津の確執について、世良修蔵の件でネットを見ていたら偶然に見つけた話なのだが。
薩長らの会津攻略と同時期に、会津藩、庄内藩らがプロイセン(現ドイツ)に蝦夷地を売却する話が現実化する寸前であったという。
当時、奥州征討軍が政府の長期戦の方針に対して、現地軍はこれに反対して早期進軍攻略を進めた(板垣退助らが中心)ことでこの話は現実化することがなかったという。
会津と長州の確執はさておき、この問題はそれよりもはるかに重要な歴史的事実に違いない。
こういう話をみると現代の北海道の中共による土地の大量購入の話が浮かぶ。注視すべき問題。
一説によると北海道のかなりの程度(一説によると静岡県に匹敵する広さ)の土地が既に中共の土地となっており、そのエリアには日本人は入れないという。
以下はwikiより
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会津攻略戦では、在府の大村益次郎は周囲の敵対勢力を徐々に陥落させていく長期戦を指示したが、戦地の板垣退助、伊地知正治らは、これに反対し一気呵成に敵本陣を攻める短期決戦を提案。
この時、会津、庄内両藩は蝦夷地をプロイセンに売却して資金を得ようしていた。
板垣らが会津を攻め落した為に、ビスマルクから返書が阻止されて蝦夷地売却の話が反故となったが、長期戦となっておれば、日本の国境線は大いに変わっていたと言われる。
そのため特に会津攻略戦での采配は「皇軍千載の範に為すべき」と賞せられた。

