戦後、米軍駐留という絶対条件下で、それを担保する「憲法九条」および「日本国憲法」は、米国占領下で米軍の駐留を前提とした法整備が進められたことの残滓のようなものだが、占領が終了し、「名目上」独立した後も米軍が駐留し続けることの「条件付」として、九条、そして憲法そのものも温存された。

自由民主党が結党した理由は自主憲法の制定を目指すことが最大の眼目であったはずだが、朝鮮戦争を経過した後の好景気でうやむやになった。これが日本人が「自立心」を放棄して「拝金主義」というか「唯金主義」に走った原点であろう。

日本のリベラリスト達が、日本国憲法は日本人の手によって作られたものだというが、もしそうなら憲法制定の当事者であった政治家達が自民党を結党するはずがない。

米国公文書館に、占領期のGHQと当時の日本の政治家達とのやりとりが詳細に残っている。その文書を読み込んだ日本人研究家の書物のあるが、あの憲法が日本人の手によるのものでないことは明らかとなっている。

一方、米軍駐留を絶対条件とした憲法九条による「戦争の放棄=自国防衛の放棄」の戦後体制の下で「憲法九条」の堅持を主張しつつ、日本国の非武装化をさらに進め、同時に「反米」の狼煙を上げて米軍の撤退を主張する日本国内のマルクス主義者達は、九条で完全非武装化したままの日本に、当時のソ連、あるいは中共を侵攻させて彼らに日本を軍事占領させて日本を共産化するという野望を抱いた。

日本の戦後左翼の「平和主義」というのは、要するに非武装化した上で、ソ連あるいは中共による軍事的バックアップで日本を共産化することが、裏の、あるいは真の目的だった。

それが彼らにとっての「平和」である。中国共産党の指導者たちも自分達のことを「平和主義者」だと言うだろうから、同じようなものだ。

しかしソ連が崩壊し、共産主義の幻影が薄れるとともに、彼らの「意欲」も曖昧化し、「九条擁護」という「御題目」だけが残り、形骸化し、ただそれ(平和主義)を飯のタネにするに堕した。

だから、現代のもう数は少ないかもしれないが、九条絶対堅持を主張する人々を私は「平和屋」と呼ぶべきかと思う。かつて「政治屋」という言葉が流行ったが、同じようなものだ。

結局、これらは、戦後体制(九条体制=米軍による日本国の保護国化)を前提とした一種の利権に過ぎない。

その意味では、現代日本の右も左も同じように堕落している。

Exit mobile version