なにごとの おはしますかは しらねども
かたじけなさに なみだこぼるる

この西行の句を西洋人が読んだなら、理解不能かもしれない。

彼らからすれば、そもそも「なにごと」かも知れないものになぜ手を合わせるのかということになる。そういう理に叶わない、非論理的、非合理的な「信仰」というものは意味がないと判断するだろう。

さらに、涙をこぼして有難がるだろうか。

もちろん、伊勢神宮や那智滝を参拝して、そこに神(あるいはそれに類するもの)を感じたアンドレマルローや、アインシュタイン、ブルーノタウトのような人物はわずかにいるかもしれない。

私は西行のような「感性」も併せて「大和魂」「やまとごころ」と呼んでも良いのではないかと考える。

「大和魂」「やまとごころ」という言葉は平安期に言われ始めた言葉のようであるが、当時は今のような無骨な意味合いのものではなかったらしい。その後鎌倉時代を経て、江戸期に今のような意味合いの言葉になったようだ。

そういう意味で「大和魂」「やまとごころ」という言葉の用法については、今後より重層的な使われ方をしてもよいのではないだろうかと思う。

以下は、戦前に著作され戦後GHQによって焚書にされた「やまとごころ」という書籍から抜粋したものである。

まず平安期に生み出され使われていた頃の「大和魂」「やまとごころ」について解説している。

明治以降、和魂洋才と言ったが、平安時代には和魂漢才と言った。

要するに、日本人は昔から同じような思考パターンを繰り返しているということだ。

外から多くを取り込み、行き過ぎるとそれを批判し外側のものを取り込みつつも自国文化の優位を再認識するという。

江戸時代において、儒教を国教とした幕府により漢学優勢があったが、その一方で支那至上主義とも言える当時の漢学者を批判したのが宣長達に代表される国学の起こりである。

こう考えると平安時代には和魂漢才が起こり、江戸から明治にかけては和魂漢才から和魂洋才への転化があったと言うことができるだろう。

以下、原書は仮名遣いが少し違うが、現代風に改めた。原書は「やまとごころ」島津久基ーいざなみ文庫より

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平安時代の人々の使いました大和心・大和魂ということばの意味は、ざえ、漢才即ち支那の学問、広い意味で申せば外来の学問、それに対しての和魂即ち日本人固有の智恵才能、世の中に処して正しくよく生きて行く力、つまり国民常識と日本的創造(つくり出す、産み出す)能力、さうした意味に主として用いられたのでありました。

どんなに学問があつても、それだけでは役に立たない、それだけでは死んだ学問であり、知識であります。

それを正しくうまく使いこなす――活用する力がなければ、駄目であります。

その力が即ち大和心であるというのが平安時代の人々の考えでありました。

和魂漢才と昨日も申しましたが、菅原道真公の訓(菅家遺戒)に、「和魂漢才でなければ古今の知識もすべての宇宙の真理も究めることは出来ない」と言つてあります。

漢才だけではなくて、是非和魂がなければならないというのがさすがに菅公で、非常に面白い、そして意味のあることであると思います。

ざえをもととしてこそ、やまとだましひの世に用ゐらるゝ方も強う侍らめ。(源氏物語少女巻)

「和魂だけでもよいが、学問知識を十分に修めれば、一層その和魂を強化することが出来る、それこそ鬼に金棒であるという意味」

さてかくの如き意味の大和心・大和魂は鎌倉時代以後武士道と結合し、江戸時代には国学の復古精神、神ながらの皇国の道と融合し、更に幕末に烈々たる尊皇心と一体となつて、皇室尊崇、忠孝節義、滅私奉公、国威の宣揚、外敵の撃退、犠牲精神、潔白廉直、任俠など、さうしたいろいろの意味をも併せ籠めて、いよいよ世界無比の精華を形づくって参つたのであります。

敷島の大和心を人問はば     
朝日に匂ふ山ざくら花
(本居宣長)

これぞ上もなき優れたる大き道にして、まことは道あるが故に道てふ言なく、道てふ言なけれど、道ありしなりけり。(直毘霊」本居宣長)

そこで異国で盛んに「道」を説き、主義を唱へるのは、実はその国に「道」が乏しいからであり、「道」が行はれない証拠である。

個人にしても、学徳高い人は外観はむしろ無才にすら見えるのに反して、生半可の学才の輩に限つて、得々と自己宣伝をして歩くのと同一であると断じて、   

「これをえさとらずて、かの道てふ言ある漢国を羨みて、強ひてこゝにも道ありと、あらぬことどもを云ひつゝ争ふは、たとへば、猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、人の恥ぢて、おのれも毛はあるものをと云ひて、こまかなるを強ひて求め出でて見せて、争ふが如し。毛は無きが貴きをえ知らぬ、癡人のしわざにあらずや。」(本居宣長)

真淵翁の万葉考の緒言中に古歌と後世の歌とを比較して、   

古の歌は、はかなき如くにして、よく見ればまことなり。後の歌は理ある如くにして、よく見れば空言なり。古の歌は、たゞごとの如くにして、よく見れば心高きなり。後の歌は、巧みある如くにして、よく見れば心浅らなり。

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理屈や思想は学ぶ価値のあるものだが、それだけでは意味がなく、これを解釈取り込んでさらに活かす力。これがやまとごころであるという。

さらに江戸期になると、本居宣長らの国学者達が、理屈ばかりが先行し、空論に遊ぶ儒学者などを揶揄し批判した。

理屈ばかり言うのはそこに真の道が行われていないからであり、日本に於いてはそれが行われてきたので小難しく空疎な「理屈」を解く必要はないのであると同時に、外国の理屈は一見すると優れているように思えるが、よくよく精査してみると思ったほど深みのあるものではないことに気づく。

と宣長は言う。

西洋哲学などを見るとそう感じることが多いのも事実。話せば数分で済むようなことを小難しい理屈を何千ページも積み重ねて説明する。そう言うある種の「複雑な」ロジックプロセスを「知識人」が自分達の「優位」を主張し溜飲を下げるための道具に使う。

そういう面もなきにしもあらずと言えるだろう。

(写真:紫式部 wikiより)

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