上野に西郷像があるという事実だけでも実は日本人とそれ以外の文明に生きる人との間には大きな「断崖」がある。
日本文化に詳しいあるユダヤ人の書物を読んでいたらこんなことが書いてあった。少し長くなるが引用したい。
「中国共産党をひきいる毛沢東は、神のように崇められ、中国人民のカリスマであったが、彼は生前、多くの指導者がそうであるように、自分の有能な後継者を除いた。そのために、彼の死後、後継者たちは、毛沢東の政治方針を変え、毛沢東の妻や政治グループだった人々を拘禁し、その方針の“誤り”を告発した。
明治時代の日本には、このような粛清は一度も起こらなかった。最大の逆臣であった西郷隆盛が敗北し、1877年に自害したときでさえ、彼に対して酷評する者はいなかった。二十年後、東京の上野公園に、彼の銅像が建てられた。最大の逆臣の像を、しかも首都に建てたという例は、日本以外の国には絶対ない。」
非常に重要な意見だと思う。日本人からすれば、西郷が「最大の逆臣」であったかどうかさておき。
「最大の逆臣の像を、しかも首都に建てたという例は、日本以外の国には絶対ない」
という記述は極めて重要である。現代の日本人で歴史に詳しい人からすれば、あの銅像の姿を見た西郷夫人は、「夫はこんな風ではない」と語ったとか、さまざまな意見はあるだろう。
しかし著者の、「日本以外の国には絶対ない」という記述は非常に重い。
日本人の感覚からすれば、上野に西郷さんの銅像があることに関してはなんの違和感もないが、日本以外の国の人からすれば「絶対にあり得ない」光景だということだ。実はこんなことでさえ日本人とそれ以外の国の人々との感性には大きな断層があるということを日本人は理解すべきだ。
この考え方は「出雲大社」にも見出せるだろう。さらに、日本史で身近な話で言えば、平将門や菅原道真もそうだろう。
こういう「思考」「価値観」は、「日本以外の国には絶対ない」と言えるのかもしれない。
ちなみに、この著者は次のようなことも語っている。
明治維新のことに関して、
「日本には、レーニンやスターリンも、ガンジーやネールも、孫文や蒋介石も、そして毛沢東もいなかった、、、、日本はカリスマ的指導者なしで、大変換をとげた世界で唯一の国だと言えよう。現代も、日本の支配者はカリスマではない。一方、カリスマであった人、天皇は支配者にはならなかったのである。」
と語っている。日本人からすれば、西郷や大久保や木戸らは、孫文や蒋介石レベルではないだろう、とは思うのだが。いずれにしても、カリスマなくして大変換を遂げえた世界で唯一の国という記述は極めて興味深いものである。
日本文明とは何か。
それを今最も深く認識しなければならないのは他ならぬ日本人自身ではないだろうか。
日本人が自らのそのような価値観を深く考え強く認識することは世界の平和にすら貢献する最重要事であろうと私は思う。

