南朝系、古神道系、出雲系の人々の中には今の天皇家に否定的な人もいる。やがて自分達が信奉する新しい天皇の時代、神々の時代が来ると信じる人もいる。中には明治天皇すり替え説を言う人もいる。
しかし、そういうことを考えること自体が新たな権力闘争の種を作るだけのことではないか。それ自体が人間くさい話である。
そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。しかし、そういうことは人が決めることではないし、決められることでもない。
神々の世界にはいくつかの「流れ」があることは事実だ。人によって関わる「流れ」も関わり方も異なっていることは事実。
人は同じ時間軸を共有しているが、人それぞれ別の時間帯を生きている。人それぞれに与えられたこと、人から特別な何かを伝承され、それを実行しているような方も含め、人はそれぞれにすべきことをし、できることをただ行っていく。それ以上のことはできない。
しかし、それが「惟神」ということではないのか。
さまざまな記録や示しによって、いろいろこれからのことを私たちは知る。それを知っておくことは重要なことだ。しかし、自分自身の行く末も結末も誰にもわからない。
人はなぜ生きているのか、人間とは何か、自分の人生の目的は何か。そういうことを考えること自体がそもそも無駄なことではないか。そういうことを考えれば考えるほど、心が虚しく空虚になっていくだろう。
そういう「思い」や「疑問」すら手放し、捨てて、乗り越えていくことが、今のような時代に生きていく上で必要なことではないのか。その先は、いずれ自然と与えられていく、与えられている状態になる。
人それぞれに、行動し、時々の思いを取り出し、意識化し、積み上げていく。そうすれば何か見えてくるだろう。気づいた時には何かが出来上がっていた。それが最善である。
天皇誕生日の日の思い。

