保守という言葉は嫌いだと以前から言っているので、本来なら日本文明を国と人との柱とする生活意識を重視する考え、とでも言うべきで以前「復元派」だと自称したのでそのように言うべきだが、一般的ではないので、あえて保守という。

日本の保守勢力はなぜまとまらないのか。

少し勢いが出るとすぐに言い争いのようなことが起きてバラバラになってしまうということがここ少なくとも十年ほど繰り返し起こった。

これについて、理由となるところを少し考えてみたが

「倭国大乱」

という言葉が思い浮かんだ。

古代、日本はいくつかの国に分かれており互いの争いが絶えなかった。

大和政権が西日本を統一する以前、王が男子である間は争いが絶えなかった言う。魏志倭人伝の有名な一節によれば、

「其の国、本亦男子を以て王と為し、住まること七・八年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼といふ。鬼道を事とし、能く衆を惑わす。年已に長大なるも、夫婿なく、男弟有り、佐けて国を治む」

もともと日本はいくつかの国に分かれていて、神様も異なっていたと考えられる。

自慢できる話ではないが、日本人同士だと纏まらず「お雇い外国人」を頭に据えると落ち着くという例もある。

日本の保守勢力というのは基本的に、日本の古代からの神々の系譜をなにがしか引き継いだ人々の集まりだろうから、まとまろうとすると諍いが起こりやすいのには、おおもとをたどれば、おのおのが背負う「神々」のバックボーンの違い(霊的に紐づいている)によるのだろう。

国や保守勢力をまとめる一つのプランとしては、女性を立てるという方法があるかもしれない。

ヒミコは、祭祀王であり、これとは別に統治王があったというのは、竹内睦泰氏の書物にあったが、自分もこれを正しいと考える。その名残が、伊勢神宮の斎宮で、皇女・王女が祭祀を司った。後醍醐天皇の時代まで続いたようだ。

上記の魏志倭人伝の一節にも「男弟有り、佐けて国を治む」とあるから、女性と男性の二頭体制として、それぞれ役割を与えるのが良いだろう。

魏志倭人伝の記述が正しいならば、日の巫女(日霊女)に弟があり、彼女を補佐したという記述から、弟は男王で統治王であったとも考えられる。

歴史を学ぶことでこの国の未来を見据えることは重要である。

Exit mobile version