人間社会は今後どうなるのか どうあるべきか

能登地震に関する映像を見ていた。輪島市のある地域に入った取材班が被災状況を伝えている。

街の中心に鎮座する神社にカメラが入った。

一の鳥居とされる一番外側のコンクリート作りの鳥居は根元からちぎれてバラバラになっている。階段を上がり本殿前の木製の鳥居はそのままに見えた。しかし近づいてみると根元がちぎれて土台からはずれていた。本殿は大丈夫のように思われた。

カメラは街に戻った。通りを歩く老夫婦に声かけした。いくつか会話のやり取りの後、取材班が質問した。

「初詣はあの神社へ行かれたんですか?」

すると老人は答える。

「いやあ。以前は、大晦日から新年にかけて、太鼓をドンドン叩いてにぎやかだったが、コロナ以降はもうやってないから。」

恐らく、地方ではこのような神社が増えているのではないかと思われた。地域の人と地域の神々との交流も途絶えている地域が増えているのかもしれない。

正月早々立て続けに天変地異や事故が多発することなど有史以来なかったのではないか。

元旦の大地震・大災害など警告以外の何物でもない。しかも極めて激しい最大限の警告に見える。

ボランティアだとか人との絆だとかそんなことばかり強調しても、社会が安穏になることはないだろう。それも大切なことではあるが。

今年の初め、ある言葉のイメージが自分の中に起こった。

「今年からの10年くらいの間は、天地がひっくりかえるようなことが起こっても何の不思議もない。気づいたら人間の数が以前の10%くらいになっていたとしても驚かないことだ。そんなことはあたり前の時代になる。」

そういうイメージは以前からあったが、より強いものに感じられた。もはや人間に対する何の容赦もない威厳に満ちた何がしかの存在がいるようだ。

こういう言葉をネガティブにのみとらえる人もいるだろう。

しかし、事前にそのような心構えができていれば、慌てることはないだろう。最悪なのは普段はヘラヘラして、このような話も笑いとばしておきながら、事が起こると、怯え、恐れ、うろたえ、大騒ぎして泣きわめき、自己中心の権化になることだ。

一人一人が神々と繋がって生活する社会が次の文明の社会の在り方になる。

カリスマは必要ない。

個々の人間の意識あるいは魂が変われば社会は自然とあるべき姿に落ち着く。

カリスマに依存し、その出現ばかり期待しているだけの人間社会は、今のまま何も変わらずさらに状況は悪化していくに違いない。

人間同士の争い、諍い、憎みあいも増加する。

あるべき姿を人間が取り戻すまで大混乱と大激動と大変動と巨大な衝撃は地球レベルで続く。

人間社会は、これから政治家や権力者の時代から、そこに生きる人間一人一人の魂の在り方に依拠する社会へ変化していくことが求められる。

それができなければ人類は滅びか暗黒のいずれかになるのだろう。

そして何が起きても深刻にならず、心を一所に滞留させず、さらっとしている心も重要だ。ひとつひとつを洗い流(禊ぎ)して次の歩みに向かうことがもっとも人間に大きな力を与える。

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