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日本文明・神道の話
世界の現状と日本人が意識すべき日本文明の神髄
「結果が全てである」
日本人からすれば日本の国内事情というものは問題だらけであろう。そのことは自分にも痛いほどわかる。
有史来、さまざまな宗教が起こり、人間社会を整える役割を得た。
これは結果論だが、自らの宗教を血眼になって励んだ結果、それぞれの国や文明圏の現状はどうなのか。
インド思想は素晴らしい。私も多くの知識を得たし、その恩恵に浴したことは確実である。
西洋キリスト教文明はどうか。世界の価値観をここまで「良い意味で一元化」し、それはある程度まで非常に良い意味でそれをおこなったことは間違いのないことは、今現実の世界の実情を見れば明らかなことだろう。
しかし、それで全てが完結したなどと考えるのはあまりにも稚拙だ。
今世界の状況はどうなっているのか。
インドは日本よりもより良い社会だと日本人は思えるのか。
西洋社会を心から日本社会よりもより良い社会だと思えるのか。
それはおそらく、日本人で、他国の現状を知るものほど懐疑的に思うだろう。
それぞれの国家や文明圏の社会生活の有り様は、さまざまなニュースや情報ソースによって明らかであるが、混乱に混乱を極め、治安も定かならず、人心というものも非常に稚拙な感情の噴出というレベルに留まっていることが大半である。
そのような中で、日本はどうか。
世界の中で傑出して、人心が安定し、治安も安定し、魂の暴発はない。
我慢しているからであるというかもしれない。
しかし、それは稚拙だ。我慢などというものはたかがしてている。
本当の暴発というのは、理屈を超越して起るものであり、それは歴史の過酷な積み重ねの結果以外にはあり得ないことだからだ。
結果が全てである。
どんなに優れた宗教や教えを唱えたとしても、結果としてその社会が誰の目から見ても安定しているものであると判断できなければ、そこにある価値観、システムに問題ありと見るべきだ。
今、世界を見まわしてみた時、日本社会の安定性は理屈抜きで秀でたものがあり、世界がそれを「ひとつの重要な成果」であると感じないわけにはいかないだろう。
結果が全てだ。
どんなに優れた教えや宗教があったとしても、結果としてその社会に幸福や安定をもたらさないものは、どこかに問題点があるのだと認識すべきであろう。
日本人はそのような、この国の結果的状況というものを熟視し、その原因はどこにあるのかということをしっかりと見ていかなければならない。
それこそが、次の文明、世界に対して、日本人が何ができるか、貢献できるか、ということの神髄へと繋がっていくだろう。
大嘗祭に関わる御発言問題と憲法
日本が第二次世界大戦で敗戦した際、当時の日本の政治家達は、大日本帝国憲法の多少の改変だけで何の問題もないという認識だったし、事実そうだ。
それを進駐軍が「NO」と言って、自分達のスタッフが2週間程で書き上げた英文「憲法?」を突き出して、これを参考にして作成せよと。
現実はほぼそのままの和訳にすぎない。要するに西洋文明の強制であり、これは実際には国際法にも違反する。だから当時のGHQは巧妙にこの問題を進めたのである。後ろ指さされないように。
あのナチスドイツに対してすら、憲法の強要はしていない。彼等の戦後憲法はまだ改正されてはいないが、占領規定という扱いである。
米国は、フィリピンやハワイに対して自らの憲法を強要し、最終的に自国領化することに成功しているが、日本に対しても同じ手法が採用されたのである。
この問題は、そういうこととも密接に関係している。
占領軍による占領期間が終了して、とりあえず独立した際に、この問題を明確にして、「占領規定」にすぎない、日本国憲法とやらを即座に廃棄して、自らの手による憲法を復帰すべきであったのに、これは吉田茂の大罪だと私は思っている。何が「戦後の名宰相」なものか。
日本文明という観点からすればあの男は大罪人であると思っている。
あの頃ならまだそれができたはずだからだ。現在では極めて難しい状況になっている。頭の悪い憲法学者がこの「占領規定」を珍重し、それに左翼(左翼というのはあくまでも総称としての)が乗っかるという図式が定着化しているし、多くの日本人もそれが正しいのだと、、、。
呆れたこの国の惨状。それでもここ数年はこれまでよりも多少改善の兆しはあるのかもしれないが。十年ほど前までは、街宣右翼が叫ぶだけの話にすぎなかったが。彼らは「自主憲法制定」と言っているが、正しくは少し違う。
本来の姿に戻すだけでいいという話だ。どんな憲法であれ、日本人自らが心血を注いだものに戻すべきなのは言うまでもない話だが、街宣右翼しか声高に言わない戦後の日本の異常事態を想う。
とは言え、自民党結党以来の党是は「自主憲法制定」だということをどれだけの国民が意識しているのか。日本国憲法を制定した張本人が今の憲法は自らの憲法ではないと明言しているのだ。これ以上の「歴史的証明」が一体どこにあるというのか。
この問題は結局、あるいは結果的にそういうことと密接に関わっている。
これを契機に愚かな「左翼」連中が、「日本文明破壊計画」のツールとして、再びこれを利用し、中国や韓国らの外国勢力がこれに乗ずる、といういつものパターンになることを恐れる。
アメリカにしたところで、自分達と関係ない文化文明がどうなろうとどうでもいいことだし、それでさらに「日本の西洋化あるいは米国化」が進むことは悪いことではないと。
それに対して、日本の「識者」というのがはなはだ頼りなく、まともな見識もない、にわか西洋かぶれみたいな意見をよろよろと弄するだけであるといういつものパターンはもう「見るのもうんざり」である。
宗教がどうの、政教分離がどうの、英国王室ではどうのとか。そんなこと関係ないだろう。そんなことでこの国の国柄が揺らぐならそんな「クソ憲法」など破棄してしまえばいい。あんなものを「珍重」する連中の気が知れない。
国家の在り方を規定するのが憲法なのにも関わらず実際にはそれを破壊するツールでしかないのであれば、そもそも本末転倒だ。
結局、国柄という問題の話である。宮様個々人の見解はあったにせよ、本来なら話題にもならない当たり前のことがそうでなくなりつつあるという話でもある。
自らの文明は自らで守っていかなければ、それは消えてゆくしかない。それを本気で考える日本人がこれからの時代どれだけ出現するかに全てはかかっている。
https://mainichi.jp/articles/20181201/ddm/005/070/075000c
呉善花さんの日本と神道 「水に流す」と「恨」の文化の狭間で
先日、DHCテレビでの呉善花さんの出演する番組を見た。
彼女は済州島の出身だが、徹底的な反日教育を受けて育ち、日本に来た。ただし親は戦前の日本のことについて悪いように言うことはなかったという。
しかし、日本に良い印象を持っていなかったのに、何故、日本に来たんですか?と百田さんが大阪のおっさんぽく、歯に衣着せぬ物言いで聞いていたが、当時は韓国から外国に出国することが難しい時代で、日本経由でアメリカかカナダに行くつもりだったらしい。
はじめは日本人の行動心理というか何故こういう言動をするのかというようなことが理解できず、悩んだと言う。そのあたりの経緯は彼女の著作「スカートの風」等に詳しい。
ある日、日本のサラリーマンたちが韓国について語る会のようなものがあるというので参加したらしいが、その際、韓国の歴史についてさんざんひどいことを言われ腹がたったらしいが、その辺が自分の国の歴史についてもっと知ろうと思ったきっかけだったという。
彼女が日本人の心がどうしても分からず、どうしようかと悩んでいた時、神社に行ってみようと思ったという。
それまで分からなかった日本人の心が神社に行くにつれてようやく理解できたという。
かく言う自分はもちろん韓国人ではないが、やはり戦後世代の日本人として、若い頃は日本のこと、日本の文化文明について確とした価値意識も重要性も感じていなかった。
20代の半ば頃にあるきっかけで神社に非常に興味を抱くことがあった。
それ以降その魅力に惹かれていったが、自分も神社神道の魅力や価値というものに目覚めることがなかったら、多くの現代日本人と同じく、自らのアイデンティティーが曖昧なまま、大して日本という国に愛着を抱くこともなく、外来の文化を「優遇」する人生を送ったことだろう。
日本を知るには、やはり神社あるいは神道しかないと自分は思っている。
仏教的な価値観というものも、日本の文化に溶け込み、無常であるとか、魂の流転循環と自然の流転循環との融合という、日本的な仏教的解釈に昇華し、我々の感性を豊かならしめていることは事実である。
しかし、そういうことも含めて、日本人の起点、原点に神社神道があるということは間違いのない事実である。
韓国人にも、彼女のような人が多ければ両国は上手く付き合っていけるであろうと思うのだが、現実は厳しい。彼女の話を聞いているとつくずく思うが、根本的な部分で、日本人と韓国人(朝鮮人)は全く違う価値意識を持っているということだ。そういうことをよくよく理解してつきあう必要がある。
「いろいろ問題はあっても、誠意を見せてしばらく我慢してつきあっていけば、いつか分かってくれるはず。過去の食い違いは、お互い水に流して、これからはすっきりと行こうじゃないか。よーし、この話はこれでもう終わりだ!」
日本人の人間関係にはそういうところがあるが、彼等には全くそういう感性が存在しないということだ。
彼らは「水に流さない」。
呉善花さんのような人がいて、いろいろ教えてくれることは、「国際音痴」の日本人には非常に貴重なことである。
https://youtu.be/z9UOuD7w-YE
「天皇制」と言う言葉は日本共産党の造語である
天皇制と言う言葉を今現代の私たちは普通に使用しているが、この言葉は本来戦前期における日本共産党が、打倒すべき体制としての「天皇制」という意味において使用されたのを発端としている。
その言葉の明らかな初出は、日本共産党綱領となる、「32年テーゼ」(1932年ー昭和7年)の中にある。32年テーゼは、正式には、「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」(日本共産党中央委員会)と言われるものだ。
(前略)
― (中略)日本が資本主義の軌道に移行せる際に天皇制ー反動的な半封建的官僚と大土地所有者とーが勝利したことは、帝国主義列強に対する日本の不平等な地位(高圧的条約)を廃除せんための初期の闘争をば、弱い隣接民族を略奪するための闘争という形態を取らしめ、近代的日本帝国主義の強盗政策のために道を拓く結果となった。
(中略)
四、日本の共産主義者は、外部に対する日本帝国主義の侵略性と、その国内政治との間に於ける不可分的な関連外部に対する帝国主義的強盗戦争や、植民地の奴隷化と国内に於ける反動との間に於ける不可分の関連を理解せねばならぬ。日本帝国主義は戦争の道を進みつつ、軍事的=警察的天皇制の支配制を、勤労者に対する前代未聞の専制と暴力支配との統治を維持し強固にし、農村に於ける農奴的支配を強化し、大衆の生活水準を尚これ以上に低下せしめんと志している。
戦争は必然的に国内の階級対立を極度に先鋭化している。それは日本のプロレタリアート及びその共産党に、戦争反対の闘争を労働者農民及び一切の勤労者の最も緊急な日常利益の為の闘争、彼らの経済的及び一切の奴隷化に反対する闘争と結びつけ、かくして帝国主義戦争を内乱に転化し、ブルジョア=地主的天皇制の革命的転覆を招来することの任務を課している。
以上
自らの思想的枠組みに、日本の状況を暴力的に投げ込んだだけの荒っぽい理論構成にはあきれる他はないが、こういう言葉がいかに日本の歴史や価値観にそぐわないかもよくよく理解できる。
しかし、これらの思想が戦後日本の戦前歴史観とほぼ相違ないことを考えれば、戦後の歴史観が如何に「赤い」思考に塗りこめられているかが理解できるだろう。
戦前の日本を「悪者」扱いするために、占領軍としては、彼らの理屈を利用するのが都合が良いと考えたに違いないし、そういう考え方に左翼勢力が乗っかったというのも間違いのない事実である。
西洋列強の植民地帝国主義への抵抗力としての明治以降の日本政府のあり方を明示するのは西洋社会にとっては「気分のいいもの」ではなかった。
知識のない者に、こういう言葉を毎日叩きこませれば、事実や現実がどうあれ、そうだと思い込むものもいるだろう。
しかし、こういったマルクス主義的思考人種がその後、「革命的階級闘争」などと称して、世界中で一億人にのぼる人間を自国内において虐殺した事実を忘れてはならない。この歴史的大罪に比すれば、ナチスドイツのユダヤ人虐殺ですら赤子のレベルに思われるのである。
戦争で他国と戦うことよりも、自国民を虐殺することの方が数千倍残虐な行為に、私には思われるのだが。
このように見て行くと、自分のような天皇を日本文明の重要な柱であると位置づける人間が使用すべき言葉にはあらず、ということだ。
ちなみに、日本共産党であるが、「警察庁」のホームページによれば、明確に危険な集団であり、今現在も監視対象とする必要あり、と明記されている。
以下の文言をみれば、彼らをして「平和」の党などということが全くの欺瞞であることは論をまたない。
「日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。」
「昭和36年7月、第8回党大会が開催されました。そして、同大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。
また、両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。」
「日本共産党は、平成12年11月の第22回党大会で、規約前文を全面削除する大幅な規約改定を行い、「労働者階級の前衛政党」、「人民の民主主義革命を遂行」、「社会主義革命をへて日本に社会主義社会を建設」等の革命を連想させるような表現を削除しました。しかし、「科学的社会主義を理論的な基礎とする」との党の性格や「民主集中制を組織の原則とする」との組織原則は、「党の基本にかんする、規約として欠くわけにはゆかない部分」として条文化しました。
引き続き、16年1月の第23回党大会で、昭和36年7月の第8回党大会で採択して以来5回目となる綱領改定を行いました。
改定の結果、マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、「革命」色を薄めソフトイメージを強調したものとなりました。しかし、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。」(以上、警察庁HPより転載)
以上のように書かれており、結論として次のように結んでいる。
「このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、党中央を代表して報告された「敵の出方」論に立つ同党の革命方針に変更がないことを示すものであり、警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています。」
転載元:暴力革命の方針を堅持する日本共産党(警察庁HP)(https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm)
日本人はこれから何を求めて生きていけばいいのか
さて、今日は、これからの日本人の指針について話をしたい。
この百年ほどの期間、世界は西洋的な価値観を最高のものとして生きてきた。
事実、それは力・政治・経済・技術の上でも結果的に成功を収めたことは疑いがないだろう。
しかし、それらの価値観を振り回しても、まるで虚空をつつきまわすがごとく感じるようになったのは、たかだかここ十年ほどのことであろうか。
21世紀に入った段階で確実にそういうことになっていたと思われる。
2001年の同時多発テロの時がもしかするとその決定的な分岐点かもしれない。
なぜか、あれがそうなのか。その理由は今は分からない。
フランス革命以降、あるいは、その淵源にルネッサンスも含むのであるとすると、.それらの西洋的価値意識というものが、ここに至りついに「空回り」を始めたのである。
しかし、その発端をさらに辿れば、日本の明治維新に行き着く。
それから、およそ150年。
第一次世界大戦から第二次世界大戦の間の前後の期間には、「西洋の黄昏」ということが彼等自身の言葉から発せられ、自らを否定するニーチェの思想なども起こった。
しかし、それでもまだ西洋の力は衰えず、欧州から北米にその力を伝播したのである。
作今の移民や難民問題。それらに関わる自らの文明不安定~崩壊の危機の発生。にもかかわらず、いまだ主流の勢力は自らの基本的な価値観によって自らが栄えることが可能だと信じ、さらにその拡大を模索する。
そして、トランプの登場。
これこそが、まさに西洋文明の拡大的な価値意識の終焉を象徴している。
もはや自分達の価値意識を無限に拡大することが不可能であると、彼等の、西洋人の、集合的無意識、あるいは、ある種の言い方をすれば、西洋人的の霊的集団からなるものたちがそれを悟った瞬間であろう。
明治以降に培われた西洋かぶれの日本人達の価値意識というものは、もう時代遅れだから、そろそろそれを脱ぎ捨てるべきではないか。
では、それを脱ぎ捨てて後、一体私たちは何を「規範」とするのか。
その疑問に対する回答は極めて簡単である。
「おのれの歴史そのものをつぶさに見直す」
日本人のこれまでの歴史的な過程。そこから生み出されたさまざまな価値観。
それらをしっかりと見ていく。見直すことでさまざまな長所を見出すだろう。
それを、個々人が生まれながらにある能力や才能、興味に照らし活かしていく。己の能力や才能や目標や興味の中に流し込んでいく。
それだけでいい。必ず見出せるはずだ。
それが、この国を豊かにし、もともとあった日本人の笑顔を取り戻すことになるだろう。
そして、最終的に、それが世界が最も求めていたものの神髄の一つを現すことになる。
これこそが日本人が求める確実なプロセスだ。
本質は全て自らの血肉のうちに見いだすことができる。
世界を変える力は意外にも自分の足元にあるということである。
この言葉を信じるべきだ。信じるに値する言葉であり、全てを活かすに足る。
今、全てはおのれの足元にあるということを。
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