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日本文明・神道の話
日本人ほど宗教音痴は民族はいないと言われるが日本人ほど宗教的な民族はいない。
日本人は世界の宗教情勢や世界がいかに動いているかを宗教すなはち文明という観点から見る知見がもっと必要である。
日本人はもっと「宗教的」になる、あるいは「宗教性の知見を身につけ」ねばならない、とは「全く」思わない。
日本人の本質は古来からのままでいい。しかし日本人は日本文明を担う者としての自覚が格段に必要とされるようになってきている。
神道は文明のファームウエアである
神道は世界の諸文明のファームウエアとなる。
これまでの全ての文明は、自分の価値観、すなはちソフトウエアを他文明に押し付けたり強制したりした。
それによる確執、諍い、怨念というものがやがてその文明を衰退させ、破壊してゆく。ルサンチマンは根が深い。
どれほど強大なものでも壊れる時は瞬時に起こる。
神道=日本文明はそうならない。
神道はソフトウエアを強制することはない。またそうなってもいけない。
ファームウエアというのは仕組みであり、基礎だ。思想ではなく思考でも理念でもない。
ソフト(思想・理念・価値観)はそれぞれの世界観に委ねられる。
ファームウエアとは、天地人の祭りごとという意味だ。
この二千年間の世界の諸宗教は天しか知らない。
シュメール(バビロニア)〜エジプト〜マケドニア〜日本を繋ぐ太陽神のシンボリズム
ごく簡単な朝のブレインストーミング。
シュメール/バビロニアの旭光を意味する神字(写真一枚目)は日本の旭日旗(2枚目。3枚目は神武東征図)と同じだが、旭光といえば、アレキサンダーのマケドニアを象徴するシンボル(4枚目ーマケドニア国旗)も同様である。
エジプトの太陽神ラーのシンボリックな絵図には太陽を象徴する赤い円(5枚目)が描かれているが、これを見るとゼロ戦の翼に描かれた国章(6枚目)を思い出す。
(ゼロ戦の模型の写真は引用:http://kurage55.blog60.fc2.com/blog-entry-527.html)
オルフェウスとイザナギ
日本神話・文明とオリエントギリシャ神話・文明を繋ぐ複数の共通点
紀元前6世紀頃、ギリシャにオルフェウス教というものが起こった。これはブッダが生まれる前である可能性が強い。
ギリシャにおける神々への信仰とは、神と人との間には絶対的な断層があり、神は不死の存在であり、人は死ぬ。人は死ぬと地の底の永遠の闇の中へと向かわなければならない。
神に対する敬意は絶対的なもので、人は神に対して敬意をこめるために生贄を捧げなければならない。
そういうものだった。しかし、オルフェウス教は、神々と人の関係性を変え、人は死ぬと神の世界に入ることが可能である。秘技参入し、禁欲と戒律を守って生活すればそれが可能なのだと。
さもなくば、人の魂は永遠に人から人へと生まれ変わり、苦しみが続くことになる。
このオルフェウス教の考え方は仏教の基本的なコンセプトとほぼ同じである。
オルフェウス教では生贄を捧げる代わりに香を焚くのである。
ブッダ誕生以前にオルフェウス教があったとすれば、仏教はオルフェウス教の影響を受けたものかもしれない。ブッダの誕生には諸説あり、紀元前4~6世紀ということになっている。
オルフェウスはギリシャ神話に登場する神である。
オルフェウス教について調べていたら、非常に面白いことに出会った。以下の話は、日本神話とギリシャ神話の類似点に詳しい人には既知のことであるかもしれない。
オルフェウスは、ニンフのエウリュディケに恋をして結婚するが、やがて死んでしまう。
オルフェウスは、死んだ妻を取り戻すために、タイナロン岬の入口を通り、冥界の門をくぐって、冥界へと向かう。そして、冥界の神々に願い、太陽に満ちた世界に妻を再び連れ戻すことを許される。
しかし、それには条件があった。
「妻エウリュディケを連れて戻る時、アウェルブス湖の谷あいを出るまでは、けっして後ろを振り返ってはならない。」
しかし、帰りの道は霧が深く視界がほとんどない。不安になったオルフェウスは、後ろを歩く妻のことが心配になり、ついに後ろを振り返ってしまう。
オルフェウスは、愛するエウリュディケを冥界から連れ戻すことはできなかった。
この話は、イザナギが黄泉の国にイザナミを取り戻しに行く日本神話の話と全く同じプロットである。
黄泉の国へと降りて行ったイザナギがイザナミをこの世に連れ戻す条件は、イザナミが神々(黄泉の国の住人)と、この世に戻る話し合いをしている間、けっしてイザナミの姿をみてはならない、というものだ。
あまりに待たされるので我慢できなくなったイザナギはついにイザナミの姿を見てしまう。約束を破り、蘇る前の醜い姿を見てしまった夫に怒り狂ったイザナミは、驚いて逃げるイザナギを黄泉の比良坂まで追いかける。
多少の違いはあるもののこの話が同根であることは疑いがないだろう。
そんなことを調べているうち、もうひとつギリシャ神話と日本神話の類似点に出会った。
ギリシャ神話に豊穣の女神デメテルという神がいる。デメテルにまつわる神話はアマテラスの岩戸隠れに関わる神話。アマテラスとスサノオに関わる神話と極めて類似する点がある。
デメテルは愛娘を奪われると悲しみで食物を一切口にしなくなるが、バウボが性器を露出して奇妙な踊りを始めたのでついに食物を摂った。(岩戸隠れとアメノウズメの裸踊り)
デメテルの弟神ポセイドンは、嫌がるデメテルを騙して強姦してしまう。デメテルは怒り、洞窟に籠ってしまう。(スサノオの乱暴狼藉とアマテラスの岩戸隠れ)
スサノオの乱暴狼藉とは、実際はアマテラスへの乱暴という意味であると言われる。神話ではスサノオはアマテラスの機織りをする機屋に馬を投げ入れるなどの乱暴狼藉を行ったので怒り狂ったアマテラスは岩戸に隠れる。
一方、デメテルは、追ってくるポセイドンをかわすため馬に化けるが、ポセイドンも馬に化けて近づき、ついにデメテルと交わる。
ポセンドンとデメテルの交わりの結果生まれたのは、アレイオンという神馬であるが、アマテラスとスサノオの間に生まれたのは宗像三神である。
スサノオはアマテラスの弟神であり、海の支配者、根の国の支配者。ポセイドンは、海の支配者であり、地下世界の神。
日本神話とギリシャ神話は同根の要素を持ち、その淵源は恐らくシュメール神話にある。
シュメール神話には、イザナギイザナミ、アマテラス神話を合わせたような話がある。
これらを追っていけば両文明の深い繋がりはさらに明らかになるだろう。
東洋における日本文明の孤独と孤立と独自性の淵源は、東洋(極東)にあって日本文明だけが何故か地中海の古代文明と多くの類似点を持っているということと極めて密接な繋がりがある。
このことはさらに突き詰めれば、やがて日本文明とユダヤ・キリスト教文明との繋がりから、両文明間の「受け渡し」「引継ぎ」「新たなる提示」へと繋がってゆくのである。
それは、
『一周回って原点に戻る』
すなはち、
『原点回帰』
といった意味あいを含んでいる。
(写真:揖夜神社-いやじんじゃ、黄泉比良坂)
この世に中心軸はない 真理は一つではない
ならば唯一という発想自体矛盾している。
銀河には中心があるかもしれないが中心に重要な何かが存在しているわけではない。玉ねぎの皮みたいなものだ。中心点だからなにがしかの圧が関わっているかもしれないが。
別に銀河が宇宙の中心でもない。
いくつかの中心点を持った寄り集まりが、有機的にあるいは無機的に繋がっている、連携している、あるいは自立している、独立している、その集合体が宇宙だ。
よって「神」という概念も同様である。
唯一最高神などというものは存在しない。個々人にとっての、あるいはなにがしかの集合体としての、ということはあり得るが。
従って唯一最高の存在があるとして、それのみを認め、それ以外のものを破却するということは宇宙のバランスを崩すことに他ならない。
全てにおいての真理は一つという概念も実は間違っている。
グルジェフ
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