かつて、松下幸之助や本田宗一郎など戦後日本の経済を支えた起業家達は、国民を豊かにすることを自らの企業理念とし、その目的を達した。

かつて資本主義は人間を豊かにするツールとして機能していた。

ところが現代において、資本主義が人間の生活を豊かにすることができない状況にある。ただひたすら企業価値向上を希求する暴走マシーンと化している。

企業はより安い労働力とコストの圧縮に奔走しつつ、更なる売上の向上を目指す。

結果、より安い労働力で、より安い商品を大量に生産することになる。

それは、世界レベルで展開されている。

食品、産業製品を含め、技術は発達しており、便利さは増しているかもしれない。

しかし、総じて我々が手にするものの質は低下している。

得体の知れない、激安食品や、コンビニやファミレスで提供される出所の不明な食品類。

日常生活の中には100円ショップの商品で用を足すことが増えてゆく。

アンダーウエアは全てユニクロになってゆく。

有難い反面、手にするものの質は、総じて確実に低下または、単一化している。

一方、今回のアメリカ合衆国における状況が明らかにしたように、資本主義や企業の「進化」によって、自国の国民の生活の質をも低下させている。

既存の労働力は、より安い労働力に仕事を奪われ、新しく仕事に就いた人間とて、やり安い労働力として使われているに過ぎない。これは日本においてもかなりの部分あてはまるだろう。

より安い労働力を獲得するために、企業は世界中に工場を展開するが、さらに安い労働力が獲得されると、次々と工場を移転してゆく。

しかし、やがて「より安く」という理屈だけでは企業は成り立たなくなるだろう。やがて「最良の移転先」は底をつく。そうなった時に、「企業の進化」「売上の向上」の在り方は変わらざるを得なくなる。

価値観の転換は必要になる。

共産主義も終わり、資本主義も終わりつつある。

数量主義と無限の売上向上という思想や理念もまた目的とすることができなくなるだろう。

新しい価値観を生み出すためには、発想の転換が必要である。

「常識」や「通念」というのはその時代の価値観の平均値のようなものに過ぎない。50年も過ぎれば、話が逆になることもある。

50年前と現代では、すでに話が逆になっており、これから50年先も話が逆になっているだろう。

こういう意識を持つことから、新しい価値意識は生み出されてゆく。

しかし、今の時代は、50年、100年というスパンのみならず、1000年、2000年というスパンでも転換の時に来ているということだ。

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