今自分の目の前に広がっている世界や風景をよく見ればいい。

そのどこに「平等」があるのか。

私は平等という概念と世界の成り立ちとの間にある大きな落差を感じた時、「平等」という言葉に薄気味悪さしか感じない。

人は神ではない。世界の成り立ちに口出しできるほど人は偉大な存在ではない。傲慢である。

全て違っている。全てが違い不条理であることの組み合わせによってしかこの世界は成り立たない。

その中で人は、人それぞれに生き何かを学び知るために生きている。

上下の問題ということではない。
それを否定することは世界の否定ということだ。

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コメント転載:

「平等」を「均質」「画一」と勘違いしている、もしくは意識的にすり替えている。ということですかね。発端をつくったのは、富国強兵を目指した明治期の教育制度か。突出した豪傑は近代戦術ではかえって作戦の弊害になるため、兵の能力の均質化は不可欠であったし、また工場生産のための工員も同様な均質さと規則正しい行動原理を求められた。敗戦後はこの教育制度を共産主義が「乗っ取った」かたちではなかろうかと。

明治期まで行くべきか戦時体制下の協働主義の影響かはわかりませんが、それをさらに戦後体制が日本文明そのものを否定した形で均一化したということでしょうね。現代人はスカスカです。戦時期は日本も社会主義の影響を受けましたから。まあしかし総力戦の概念と、現代人の極端で異常に単純な平等感というのは多少違い気がします。

男子生徒に詰襟の陸軍服を、女子生徒にセーラー服を制服として採用していることからも明治政府の方針が伺えます。国民皆兵を目指したということでしょう。戦後の教育制度は、この中の「均質化」という部分を「平等」という言葉にすり替えた、という気がします。戦後は総力戦の概念自体を「悪」と位置付けたけれども、制度だけが残り、それを共産主義者が利用した、ということではないかと。そもそも「民主主義」も「共産主義」もキリスト教徒が産み出した双子のイデオロギーであるがゆえに共通点は多いと感じます。

これは戦争論ですが、戦争というのは規律と一体化を伴わないと弱いですよ。いうこと聞かない行動がバラバラ。そういう軍隊は一発で負ける。中国の軍隊が弱いのはバラバラで忠誠心がないから。いまもそうかどうかはわかりませんが。そういう面でいうと日本人は一体行動が得意ですよね。それとここでの平等論というのは違うような気がします。明治期から昭和初期までは世界規模で戦争の時代だからある種の共同一体化という社会システムが必要であったが、日本の場合はドイツ、フランス、イギリスなどから軍制を取り入れたからそういう面では西洋的な形式が習慣化したかもしれないですね。こう言った流れが今の悪しき平等主義みたいなものを受け入れやすい素地というか伏線になったということは言えるでしょうね。しかし現代のような平等主義になると戦争には勝てないでしょう。司令官も一兵卒も平等だろうと言っていたら軍隊の運用はできないから。軍隊がいいの悪いのという話ではないですが、そう考えると似ているようで逆なんです。軍隊主義は一体化主義、協働主義になりますがそれは平等主義とは違うんですね。私が感じたのはそういうことです。

明治期の日本の選択は、外的要因の必然ではありましたが、総意として自ら選んだと云えるものだったと思います。しかし戦後の進路は外勢の意思の介入が非常に大きい。皮肉なことにそれを可能にしたのは明治期の「自らの選択」が下地となって、戦後の進路も「自らの選択」であると勘違いしているところがあるのではないか、ということなのです。

そういう面はありますね。これは戦前の日本人は随分悩み様々な人が西洋文明との付き合い方とは日本文明とはそもそも何かということを必死に考えていました。しかし、戦後はもうそういうことがなくなってしまった。そこに左翼というかいわゆるリベラリズムという西洋主義の結実みたいなものが全面に入ってきた。西洋を取り入れて、日本を否定したらもう西洋しかなくなるわけですから。恐ろしく価値観が「単純化」されたわけです。リベラリズムというのは現代人の毒薬ですよ。リベラリズムはグローバリズム。グローバリズムは単一主義。単一主義とは世界の西洋化ということだから。まあとりわけ現代ではアメリカ化ということで欧州でもイタリアなどは反発の急先鋒なんですがね。しかし、シンプルは強いですね。簡単であればあるほど強い。「平等」「人権」これだけですから。「南無阿弥陀仏」と言って一向宗がものすごい力を戦国期に持ったのと似てます。無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土へ行けるんだとwこれを信じたらもう現世なんてどうでもいいんですよ。命も惜しくない。なんだっていい。そうなる。平等という言葉の怖さはこれを言われると誰も二の句が言えないということです。恐ろしく巧妙な仕掛けというか罠のようなもの。だから私は徹底的にこの言葉をぶち壊したいと思っている。この言葉で食ってる奴はこれを言えばどんなゴリ押しも効くと思っている。だから言うわけです。平等?クソだろうと。

「自由」「平等」「友愛」「人権」どれも反論が許されない、近代的価値観ですね。それを利用して己の利を獲得、または既得権を守ろうとする者がクソなのであって、それらの概念自体を否定する必要はないと思います。ただし、日本人がイメージするこれらの言葉と西欧人のそれとは違いがあるように感じます。その違いとは、歩んできた歴史の違いに他ならない。日本人はイメージで物事を捉えようとする。更に、そのイメージが美しいかどうか、が判断基準であることが多い。先ずは言葉の定義をハッキリさせなければ 議論すら成り立たない、と思えるのです。

しかしこの問題は単に日本人だけの問題ではなく世界的に人間をおかしくしてるのは間違いないです。こういう価値観自体を低いものとする必要はありますね。どんなものでも時間とともにひっくり返る。西洋人ですらそう感じていると思うが、彼らには彼ら自身の価値を否定することは難しいしそれに変わる価値観もない。彼らにとっては自らの文明の根幹に関わりますからね

現代人は「平等」「人権」などの単語でしか価値判断できない安物のパソコンみたいな感じになってますね。

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