ベネズエラ問題の背景にはパナマのノリエガの前例がある。
さらに、パナマの「戦後」は日本の戦後を前例としたプロセスを辿っていることが歴史的に証明される。
今回のベネズエラ問題と全く同じように、パナマでは指導者のノリエガが麻薬絡みで米軍に拘束された後、親米政権に転換された前例がある。
その後のパナマの状況として、米国により憲法改正され、軍隊を解体され、親米政権が樹立され、経済的にはノリエガ以前よりは相当に改善されたようだ。
これは、あたかも戦後日本で憲法改正され、軍隊が解体され警察予備隊となったうえで経済的には繁栄したのとほぼ完全に同じプロセスであり、日本の前例を米国政権が踏まえたことは疑いがない。
パナマは現在、政治的な腐敗はあるものの相当安定しているように見られる。支配層と一般庶民との格差が大きく問題となっているようだがこういった問題は非先進国ではどのような体制でもありうる話。
日本人として見た時、戦前の日本をこのような国家と同等に扱われかねない「前例踏襲」には不快感を禁じ得ないが、ベネズエラもパナマを参考として米国による国家統制が進められるものと思われる。
(写真:ノリエガが米軍によって拘束された際の模様 出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Manuel_Noriega_with_agents_from_the_U.S._DEA.jpg)
以下はAIの回答
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1989年12月20日、米軍はパナマに侵攻し、独裁者マヌエル・ノリエガ将軍を排除することを目的とした「正当な名分(Operation Just Cause)」作戦を開始しました。ノリエガは当初、パナマ市内のバチカン大使館に逃げ込みましたが、米軍の拡声器による心理戦を受けた後、1990年1月3日に投降しました。その後、米国マイアミに移送され、麻薬密売、麻薬組織からの収賄などの罪で禁固40年の実刑判決を受けました。
ノリエガ拘束後、パナマは劇的な政治的転換を経験しました。1990年12月、アルヌルフィスタ党のギジェルモ・エンダラ大統領が就任し、民主的な統治体制が確立されました。さらに1990年2月に、パナマは歴史的な決定として国防軍(パナマ国防軍)を解体しました。この決定は1994年の憲法改正によって正式に確定され、パナマ憲法第310条で「パナマ共和国は軍隊を有しない」と宣言されました。代わりに、パナマはパナマ公安力(Public Force)を設立し、国家警察、国家国境警備隊、国立航空海兵隊などから構成される警察型の公安体制を構築しました。
この軍事独裁体制からの転換は、政治的安定性の向上に大きく貢献しました。1989年の侵攻後、パナマは5回の大統領選挙において平和的に政権交代が行われ、民主的なプロセスが維持されてきました。
経済面では、ノリエガ時代の経済制裁と政治不安により1987年以降の経済は著しく悪化していましたが、1990年の民政移管により急速に回復しました。エンダラ政権が在任した1990年から1994年にかけて、パナマの平均GDP成長率は6.8%と好調であり、この時期は「経済復興期」と評価されています。
1990年代全体を見ると、GDP成長率は1980年代の0.5%から4.1%へ、一人当たりGDPは-1.6%から2.3%へと大幅に改善しました。パナマ政府は民営化や商業改革を推し進め、マクロベースでの回復に成功しました。ただし、1990年初頭には経済は停滞期を経験し、1990年の債務対GDP比は100%を超えるレベルに達していました。
### 2000年代から2010年代:安定的な高成長期
パナマは2000年代から2010年代にかけて、着実な経済成長を遂行しました。この時期、パナマ運河の拡張計画の推進、建設、物流、商業及び不動産セクターの好調な推移により、2010年から2017年までGDP成長率は5%を超える高成長期に入りました。2013年のバレーラ政権誕生前には、失業率は1990年代の2桁台(IMF統計)から4.1%まで低下し、雇用が大幅に改善されました。
政治的には、対外的には政治的に安定していると評価され、主要政党間にはパナマ運河を経済の柱とした国家運営戦略に関して大きな違いはありませんでした。
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