神も仏もあるものか
よく大して信心もない人間が、ちょっと神頼みしてうまく行かないからといってこういう言葉を吐くことがある。
神様御先祖様が災いなどするはずがない、とか。
しかし、人間も神霊も人霊も大して変わらない。
親父に金借りに行って、いきなり「金かしてくれよ」と言ったら多分親父はキレる。
親父が機嫌の悪いときに顔だして、あれくれこれくれと言っても碌なことはないだろう。
それと同じことである。
人霊は人間と大して変わらないところも多い。人も神もいろいろと都合がある。
神霊だって器の大小があるだろう。災いが怒りによるものか、愛情から来ているのかは人間には理解できないこともある。
親父や母親が子供に怒り狂った真意を何十年も経ってから子供が理解できることがある。
それと同じことだ。
人間諦めたらそこまでだ、とよく言う。
神も仏もあるものか、という言葉もそれと同じことだ。
こういう言葉を吐く人は人の心もわからない。
孔子曰く、人は死ぬと神(魂)は天に昇り、鬼(魄)は地に降る。平将門のように、怨霊は人を困らせるが、同時に人や土地を守護する。これは魂魄ということだ。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
日本人はハワイの歴史についてしっかりと学ぶ必要がある。ハワイとフィリピンの歴史は日本人として義務教育で学ぶ必要があると私は思っている。
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増上寺は本殿には行かないが、通りかかると隣の安国殿には立ち寄ることがある。家康の念持仏「黒本尊 阿弥陀仏像」が奉安されており、これが家康をして幾多の災難を逃れたのだという。
