昭和天皇と戦後の高度成長

戦前戦後の昭和天皇に関する歴史を見ていけば、当時世界で最も知性の高い人物のおひとりであられたことが明らかになる。知れば知るほどに。日本人はもっと昭和天皇に関して学ぶべきである。

ある書籍を読んでいたら、先の日米戦争開戦の原因について、昭和天皇の手記(『昭和天皇独白録』)に次のようにあった。

「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認するところとならず、黄白の差別感は以前残存し加州移民拒否のごときは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島遠附を強いられたことまたしかりである。」

加州とは米国カリフォルニア州のことだが、1924年成立の排日移民法に先立つものがあったと思われる。満州移民は米国移民が制限されたための代替地とされたとする意見がある。

そもそもこの法案の本質的な遠因は、日本が日清日露で勝利し、国際社会での存在感が高まるにつれ、まず、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が唱えた「黄禍論」に起因している。要するに黄色い人間が白人社会の脅威となりつつあるという差別主義に基づく理論である。

さらにたどれば、幕末の不平等条約にいくんだけれども。

青島遠附とは、ドイツと青島租借を巡る争いで、最終的に日本の大陸進出を警戒した米国の思惑によって領地が変換された経緯を現す。この結果日英同盟も破棄されてしまう。

いずれにしても、黄色人種が白人と同じようなことを始めると、突然国際社会がブレーキをかけ始める。第一次世界大戦後の国際連盟において、日本は人種差別を撤廃すべく議論を提出した(国際社会における世界初の公的な提案であった)が、列国によって否決された。

こういったことが戦前の日本社会では周知されていた。

現代の日本人には想像もつかないことだが、真珠湾攻撃のあった日、日本国民の大半は、

「ついに、この時が来たんだ」

と感極まる状態であったことを忘れるべきではないだろう。何も「悪の日本軍部」にそそのかされて戦争を強要されたわけではないのだということを認識する必要がある。

第二次世界大戦の敗戦後の復興から高度成長期を迎える日本人の心の支えは、

「負けてたまるか。このままでは戦死した戦友たちに顔向けできない」

生き残ったものたちはそう考えた。だからあれだけの復興と成長が可能足り得た。もちろん朝鮮戦争勃発などの外部要因もあったけれども。

そういう「意志」を持つ世代が消えた途端に、この国が「失われた20年」に突入したのは偶然ではないだろう。

戦前までの日本人が何を思い、何を考えたのか。

そういうことの知識を日本人自身がもっと知らなければならない。

さもなくば、「戦後知識人」のようにどこかの国の「優越史観」の片棒を担いでいるだけのような人間に成り下がってしまうのである。

戦前の日本人の真意と繋がることがこの国の「真の復興」へと導くのではないか。

日本-型の文化と欧化・支那化の歴史

日本は型の文化であると言われることがある。この論考を誰が唱えたのかの記憶がないが、これを日本的な文化形態の重要なものとして取り上げることがあるのは事実である。

「型」とはパッケージすることだともいえる。

私は幕末維新・明治期における欧化の歴史を見るに、日本の「型」の文化とは、日本固有の在り方を示す文明的な形態を示すのではなく、外から何かを取り入れる際に、それを「パッケージ」化して自らの文化的基盤の上に流し込む所作のことではないかと思った。

「型」自体に何か日本的なものが含まれているわけではない。

日本的なものは本来別のところにあるが、それを温存、保護、または発展進化させるために「型」によって新しい何かを自分の世界に取り込む。

日本の歴史に大きな「型」による新たなるものの採用・流入の実施が少なくとも二回ほど起こっている。

大化の改新における中華文明の大規模な採用は、支那の律令制度、官僚制度を大々的に取り入れて国家を強化することを行った。

また、全く同じように明治維新以降においては、西洋文明を大々的に取り入れ、主に産業技術、医術、法律などを大規模に採用して、国家としての強靭化を行った。

この二つのいすれもが、外圧による国家的な危機に起因している。

大化の改新時においては、天智天皇の時、白村江の戦いで大敗を喫して、朝鮮半島における拠点を失い、半島が新羅により統一された後、唐・新羅軍が日本に侵攻する危険性が非常に高まった。

明治維新期においては、西洋列強がアジア全域に進出し、植民地帝国主義の下アジア地域を自領化する中、日本にもその危機が迫ったことによる。

米国は日本の門戸を力づくで開放させた上不平等条約を結ぶ。ロシアも直接あるいは、朝鮮半島を自領化する意図をあらわにし、英国、仏国、独国も同様にアジアへ進出してきたからである。

日本史において、「新」という字がつくのは、大化の改新と明治維新以外にあっただろうか。

「型」は日本を活かすための方法論のひとつであり、それ自体を日本的とは言えないように思った。

しかし、いまだかつて日本人自身が、これこそ日本文明であると明確に定義しえたことが極めて少ないことが、「欧化」が進み過ぎた現代社会にあって最も危惧すべき点である。

このままでは、「型」だけが残り、本質を喪失した状況になりかねない。いやもうかなりなっているという気がするのである。

(写真:陸羯南)

祭儀と祈り

意識世界・霊的世界での活動がまず先行し、その後それが物質界に反映される。

これに先行して(というか同時並行的に)、意識・霊的世界で起こったこと、あるいは活動情報を取得する行為が「予知」「発明」「創作・創造」活動となる。(詳細は一つ前の記事)

このプロセスに対して、その逆のプロセスが祭儀と祈りの意味となる。

人が祈りを捧げることで、「願い」を物質化する。神々に思いを伝えることで神々にそれらの思いを意識化していただく。

神々が人の願いを意識化すること=物質化へつながる、というプロセスになる。

もちろん「願い」が物資的なものばかりではないし、それらの「願い」を神々が聞きとどめるかどうかは分からない。

いずれにしても我々人間社会に自らの願いを反映させたいという思いを意識・霊的世界、すなはち神々にお伝えするという行為が祭儀であり、祈りである。

「祝詞奏上」とはまさにそのことである。

神道の祭儀の手順はおおまかにみると、

潔斎(禊)を行い→神々をお迎えし→供物を捧げ→祝詞を奏上し→歌舞音曲を奏上し→供物を撤収し→神々にお帰りいただき→直会(参加者に供物を共有いただく=参加者と神々との共有する時間=おすそわけ)

ということになる。

密教での行法、例えば、金剛界法や胎蔵界法などの修法もほぼこれと同じプロセスである。

ただし、密教の場合は、結界をめぐらすということがあり、神道で言う祝詞奏上の前に、仏神との一体化、すなはち、「入我我入」を行い、修法者と仏神を一体化させる儀式を行う。(神道でも同じプロセスが加わることもある)

人から神々へというベクトルにおける唯一の働きかけ。これが祭儀の意味であり、祈りの意味となる。

霊的世界の物質化

霊的世界というと「宗教的だ」ということで嫌がられるとすると意識世界という言い方をしてもいい。

意識世界でまずはじめになにがしかが起こる。わかりやすく言うと、ああしようとか、こうしようとか。

それは比較的かなり先行して起こり、やがて物質化へと向かう。このタイムラグは非常にまちまちで3日後のこともあれば場合によっては数千年後と言うこともありうる。

意識世界で起こっても物質化しない、物質世界に反映されないものもあるだろう。

意識世界で起こると言っても通常人間が知覚認識できる世界はきわめて限られており、大半は知覚認識できないところでの話だ。

それらの意識世界は個の意識をはるかに超えており時間も関係ない。この意識は霊的世界とつながっている。(やはり霊的世界という言い方が出てしまったが)

この世界では様々な活動が起こっているが、人により時として、そこで起こっていることのごく一部の情報をなにがしかの方法や機会を持って知ることがある。

「予知」「発明」「創作」「創造」「ある種の直感的知覚」

こう言ったものだ。

こういう現象は、要するにすでにそこにあるものを何かのきっかけで汲み取っている、ということである。

物質化のプロセスに先行するのが予知であり、意識世界の活動情報を何らかのきっかけで知り、それを物質世界で現実化することが発明、創作ということになる。

このように考えれば、神々の世界とか、霊的世界とかいうものの考え方が、宗教的な呪縛を離れてより身近でリアルなものに感じられてくるのではないだろうか。

ある種の夢を見た後、こう言った世界のほんのかけらのような部分に触れた気がすることがある。

日本の神々を守護天使と呼ぶ

日本には様々な神々がいる。

食物の神 酒の神 など。東京の王子神社には髪の神なんていうものもある。なんでも神になる。

酒の神ならば松尾大社になるんだろうけれど。

これを西洋に持ち込む場合「神」という表現は適当とは言えない。

「神」というとキリストの絶対神と比較混同してしまう。

しかし守護天使と呼べば彼らは理解できるし、実際意味合い的には最も近い。

最も太陽神のような存在を守護天使とは呼べないが、天使は神に変わって人間にメッセージを伝えたり守護したりする存在である。

だから、例えば「酒の神」を説明する場合には、

酒の守護天使だと言えば良いのではないか。

あるいは、ローマ神話には「バッカス」という酒神もいるようだが。

写真 : 松尾大社/守護天使/酒神 バッカス