前世の記憶

知人と話をしていたら、その人はシベリア鉄道をハバロフスクから西の果てまで1週間もかけて旅したらしいが、その時思ったらしい。

「自分の前世の肉体がこの辺に埋まっている気がした。」

誰しも、訳もなく惹きつけられる土地や地域というものがあるがそういう場所は、自分がかつていたところである可能性がある。

知人を見ていると、南米とか中央アジアとかロシアの匂いがする。案の定その辺が気になるという。

前世だけでなく先祖も関わりがあるかもしれない。

国内なら出雲だという。

私は瀬戸内と鹿児島に行った時、戻ってきたという感覚があるが、どの土地も人生でそこに暮らした経験がない。

海外にもそういう場所がある。

奇妙な既視感というか帰郷感のようなもの。

そういう場所を訪れると言うことはその人の魂にとって大きな意味がある。

心の奥底にこびりついたこだわりや思い込みのようなものを洗い流す意味合いもある。時間の狭間に横たわる、なにかを清算する。

意識の変容には欠かせない。

天皇コア論 天皇は現人神か

戦前に日本人が天皇を現人神であると考えていたのか、実際当時の天皇を巡る空気感がどのような感覚であったのかは、当時を知らない私には何とも言えない。

当時を知る人から話を聞いたとしても、それはその人の感覚であって、実際のところ自分でその空気感を肌で感じていない以上何とも言えない部分がある。

戦後占領軍が天皇の「人間宣言」を強要したが、あれは西洋人による日本文明の侮辱以外の何物でもない。

要するに西洋人は日本人の上にある。西洋文明より勝るものはないことを強制したことに他ならない。

当時の日本人はそのようには考えなかったが、本質的にそのような意味を彼らが含ませていたことは確実である。

最も日本人の神概念と西洋人の神概念には隔たりがあることからの誤解もあっただろう。

マッカーサーについては、進駐後数年を経て、日本についてどう思ったのか、意識の変容があったかどうかはまた別の話である。

さて、個人的には天皇が現人神であるという考え方に特別異論はない。

そもそも日本の神道では、人は死ぬと神になるという考え方もあるし、万物に神が宿るという考え方がある以上、ある意味誰しも人は現人神であると言える。

ただ、この考え方は人によって捉え方が様々である。

「天皇陛下は現人神であらせられます」

というと、個人崇拝のような感覚で捉える人が大半だろう。

私は天皇を想う時、天皇を一個の人格のようには捉えない。

人気俳優と同じように、一人の人格として、それを好きだとか、嫌いだとか。そういう風に天皇を考えることはない。

多くは、天皇を一個の人格として考え、良いとか、悪いとか言っているように思える。

しかし、私はこう考えている。

天皇は、日本文明の核(コア)であり、柱であり、もっと言えば一つの概念である。

歴代の天皇には様々な人格、お人柄がある。それについて、あれこれ論じるのは歴史の話をする時はするとしても、普段、天皇を想う時、人となりとか人格ということはあまり考慮しない。

確かに天皇は一個の人格ではあるが、天皇は日本人とって、むしろ人格というより概念であり、文明の核であり、柱となっている存在である。

従って存在それ自体に意義がある。

存在そのものが日本文明を明確化する。

そもそも我々一般人は、天皇と身近ではないし、そのような必要もないだろう。

人が自らの核(コア)を意識することも自覚することも難しいが、それを失えば人として存在することが不可能となる。それと同じように考える。

天皇は祭祀王であるが、人格としての支配者ではない。

古代、支配者の面を持ち合わせていたけれども。

天皇が

「朕は世界を我がものとしたいのだ。皆の者、兵を挙げよ!」

などと命令したことはないし、することもない。

明治天皇も昭和天皇も国民に一度として何か政治的な命令をしたことはない。

ユダヤの神は人に厳命するが、日本の天皇にあってそれはない。

数度の決断や、権力者の行動に怒りを露わにすることはあったとしても。

天皇の存在は日本文明のコアであり、柱であり、概念的存在である。

個人的には、天皇=現人神でも構わないが、このように考えた方が現代人にはすっきりと理解しうるのではないかと思う。

(写真:宮中三殿-西野神社 社務日誌より、戦後間もない昭和天皇の全国巡行)

天皇の本義 文明を守るために天皇は必要か

世の中には天皇が嫌いな人がいる。まあいろいろ理由があるんだろうから、それについてとやかく言うつもりもない。

しかし、そういう人に私は言うことがある。

「天皇というのは、要するに日本の文明を守る存在であり、背負う存在であり、自ら体現する存在なんですよ。」

するとこういうことを言う人がいる。

「日本の文化文明を守るために天皇など必要ない。日本人一人一人が守っていけばいいのだ。」

確かにそうだ。日本の文化文明というものは日本人一人一人が守ってきたものには違いない。

しかし、この「みんな」という概念があやふやである。

我々庶民というのははかない存在であって、時と状況に流される存在である。どれほど強い想いがあったとしても、何かのきっかけで気分も変わってゆく。

昨日まで「天皇陛下万歳!」と叫んでいた人達が、一夜にしていなくなってしまう。

1000人いた人が30人になってしまう。

庶民の心というものはそういう頼りなさがある。

「いや本当はやりたいんですけど。いろいろありましてね。」

それでは困る。

天皇とは古代から連綿とそれに全身全霊を傾けてきた存在である。それを背負い続けてきた存在である。その蓄積は計り知れない。

我々虚ろな凡人とは違う存在であるし、そうあってもらわなければ困る。

その肩代わりを誰ができるのか。

「みんなでやればいい。」

「俺がやる。」

では聞くが、あなたはこの国の文明というもの、先霊の魂や神々との交流の全てを全身全霊を持って背負い続けることができますか?

「できる!」

と叫んだとしても誰も本気で信じるものはいないだろう。

仮にあなたにその気があったとしてもあなたの子や孫はどう思うか見当もつかない。

特別な役割をもった存在というものがいる。

そういう存在を大切にする心を失えば、やがてその国土は荒廃し、価値の低いものになってゆく。

天皇の本義とはそういうところにある。

軍国主義と愛国心

戦後の映画などを見ているとよく聞くセリフ、

「国のためなんかじゃない。家族のために、愛するお前のためにおれは死ぬ。」

的なものをよく見かけた。要するに、国なんかどうでもいい。愛する家族のためにおれは戦うんだ。といったテイストの意味あいがある。

そして、戦争で死んでいった人もみなそんな感じで死んだのであり、とても格好よく、国のためとか力説する人間は、何か悪役的な雰囲気が漂っている。

そういう悪役的な人物と愛国心が結びついている。

戦後は愛国心というのは「軍国主義」と同義であり悪役の概念になっている。

しかし、愛国心というのは日本にも、どの国にも古代からあるものだ。戦争中はその時の情勢に応じて軍事的な問題とそれとがリンクしていたに過ぎない。

「お国のため、天皇陛下の御ために」というのは、軍国主義の常套句ではなく、昔からある概念だ。「国のため」とは自分の郷土のことであり、そこにある風土であり、自分を育てた環境や人や物や地域のことでもある。

その恩恵によって自分があるならば、それを想う心があるのは当然のことだ。

家族のために命をかけることだけでなく、そういったこと全てを守るために死んでいった人々の思いをくみ取らなければ、あの戦争の意味は分からない。

天皇陛下というのは、個人のことではない。この国に古代からある文化文明のことだ。

それらの代表者であり柱となられているのが天皇なのであって、天皇の存在を守るということは、日本という郷土国土、文化文明を守ると言う決意を現すことに他ならない。

そういうことを何も考えず、小さな個人や家族にのみ、人の思いを封じ込めてしまった戦後日本のある種の価値意識というものはやはり、狭小で、スケール感に乏しいと私は感じている。

靖国にお祀りされている英霊というものの意味はこういうところにある。

そのことを忘れてしまった日本社会というものに英霊は泣いている。

愛国心というのは、支配者のために命を捧げたり、興奮したりする概念ではない。

国を想う心。郷土を想う心。文化文明とそれに関わる価値観や智慧を守りたいと思う心。そういうことである。

そういうことにまで、思いを馳せることができれば、この国の豊かさは増すのではないか。

愛国心と言う言葉が戦後日本人の手垢にまみれてしまったのであれば、別の言葉で表現してもいいだろう。要するに本質があっていればいいのである。

ひきこもり・家庭内暴力と愛国心

ひきこもりと自虐史観のような、自虐的な日本人の戦後的体質とは何か関係があるのもしれない。

愛国心と言うと、何か悪いことのように言う風潮があったが、自分の国を愛することを否定するということは、結局自己否定と同じだ。

愛国心とは要するに自分の生まれ育った社会への肯定と親しみのことであり、文化文明への敬意であり、先祖先霊を敬う心ということだ。

自己否定とは自分の家族の否定であり、自虐史観は、自分が育った環境や価値意識、自分達の先祖の否定につながる。

要するに自分の周囲の環境そのものを愛することの否定につながる。

そんな環境で育ったら、ひきこもりになる子供が出ても不思議ではないと思う。家庭内暴力というのも、要するに自己崩壊現象ということだ。

ひきこもり・家庭内暴力とは要するに、民族の秘められた怒りを代弁しているのであり、神々や先霊の怒りに震えている魂の表れではないかと感じる。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の真意~日本と朝鮮半島の関係史についてのいくつかの基本的な知識

今年対馬に行ったついでに、釜山まで行った。船でたった一時間だった。対馬の北端の比田勝という小さな漁港のような港から、釜山行きの船が出ている。

比田勝付近に鎮座する鎮守の神社の一つ、那祖師神社(なそしじんじゃ)には、スサノオがここから朝鮮に渡って事業を行った(三韓往復の拠点であったという)という由緒が書かれていた。

たしかに、対馬と朝鮮半島は目と鼻の先である。

釜山に行くと、毛利輝元が築城した石垣(釜山鎮支城石垣)が今でも残っていて、ちゃんと日本語で解説板があったのには驚いたのだが。

それはさておき、秀吉の朝鮮出兵と言えば、自分の若いころ教わった知識では、武将に分け与える所領がもうなくなったから的な話。晩年の秀吉は頭がおかしくなっていて、あれは「御乱心」なんだとか。結構ロクでもない理由が多かったように思うが、そんなものかと思ってあまり深くも考えなかった。

しかし、西国大名の大半が出兵に駆り出され、それゆえに戦力及び人心の疲弊が激しく、結果、関ヶ原では、出兵にほとんど関わらず戦力を温存できた徳川家康に敗れたんだという話などもからめて、秀吉は随分無責任な行動をしたものだとも感じていた。

ところが、つい最近、秀吉の朝鮮出兵に関する新しい学説が聞かれるようになって、事実とすれば、むしろその方が理にかなっているのではないかと感じている。

当時の覇権国はスペイン。スペインには日本侵略の意図があり、その尖兵として宣教師が送られていた。

布教→国内にスペインの支持者を作る→軍隊を送って占領

これがスペインの侵略スキームである。これで世界を、特に南米はひどかったが、占領し植民地化を進めた。

天草四郎もポルトガル軍の支援を待っていたと言う。ところがオランダ軍艦の砲撃を受けて、西洋人が自分達を襲うのかと失望したというが。閑話休題。

秀吉はフィリピンがこのようにして植民地化された事実を知っており、同時に日本国内にいる宣教師が日本人女性を略奪して、奴隷貿易を行っていた事実に激怒した。これが禁教令の理由であると言われている。

一方、スペインの宣教師は、日本の軍事力に驚いた。当時の世界の鉄砲所有量は、日本が半分以上を占めていたというのだ。種子島でポルトガル人から伝わった鉄砲だったが、極めて短期間でそれを量産できたのは、当時では西洋以外では日本だけだったという。

「国王様。日本を軍事占領することはできません。」

宣教師はスペイン国王にそのように伝えた。

スペインは、明の征服をも目論んでいたが、宣教師は、日本に対して、明征服の協力を要請したという。

このような事実から、秀吉は明がスペインに征服され、大陸から明軍と共に日本へ侵攻されたら、大変なことになると考え、朝鮮出兵を決断したという。

この話を事実だとすると、正しい名称は、「朝鮮出兵」ではなく、「明出兵」だと言えるのではないか。

出兵が取りやめになったのは、当時スペインの国力に影がさしはじめ、もはや彼等がアジアまでくる余裕がなくなったことを見ての判断だと言う。

なるほど、これなら理に適う。

朝鮮南部は古代、日本人(倭種、倭人、出雲系種族)の領域であったとは言え、白村江の戦いがあった。その後、朝鮮出兵があり、明治以降の朝鮮半島への進出も含め、日本が海外に派兵する根拠は常に大陸からの脅威に備える意味があった。

戦後、マッカーサーが朝鮮戦争を指揮してはじめて、日本が明治以降なぜあのような動きをしたかの理由を理解し、米国議会で日本の大陸侵攻は自衛行為だったと証言したという事実もある。

戦後は日本の代わりに米国が同じ仕事を肩代わりする結果になった。

ちなみに、朝鮮併合は日本が軍事侵攻して半島を占領して支配したのではない。当時の朝鮮には、4つの選択肢があった。

① 清からの属国化を脱し近代化を進めて自立独立国となること
② 清の属国化を継続すること
③ ロシアと通じて日清を牽制すること
④ 日本と通じて清露を牽制すること

① に関しては維新以降の日本人の多くはそれを望んだが、結局そういう決意を国家としてできなかった。王朝は旧態依然とした清朝従属主義から意識を外に向けるだけの感性はなかったし、国民の中からその流れを変える勢力の誕生もなかった。

これは例えば、福沢諭吉の金玉均との交流史などを見るなどすることで想像できる。

金玉均は、王朝政府によって、肉体を文字通り八つ裂きにされて市中にさらされ、関係者他家族一族皆殺しにされた。墓は暴かれ破壊された。今も半島内に彼の墓はないはずである。

金玉均は、朝鮮を日本のような近代国家にしようと考え、日本に学び、福沢の自宅に下宿していた。金の凄惨な死を見、朝鮮や清の政情を詳しく見るにつけ、福沢はアジアに失望し、脱亜論に傾いた。

残る選択肢は、②③④である。朝鮮人が最終的に決断したのは、日本との併合であり、彼等にとっては苦渋の決断であったであろうが、彼等が選んだ道である。日清日露で日本が戦勝した以上、当時アジアで最強の日本に抗しないほうが良いという気持ちもあったに違いない。(事大主義)

しかし、もし②③を選んでいたら、いまだに半島全体は、中国かロシア領で、半島全体が現在の北朝鮮のような状態であった可能性もある。それを考慮すれば当時としては賢明な判断であったのではないか。

ロシアか清が日本との戦争に勝利していたら②③の選択肢をとっていただろう。

併合後、当時の日本人は威張っていたかもしれないが、社会としては日本人も朝鮮人も同じ日本人であり、日本は本土以上の資金を注ぎ込んで半島全体を整備したのはまぎれもない事実。

バランスシートから見れば、搾取どころか、日本は大赤字である。

しかし日本人が彼等に謝罪しなければならないことがあるとしたら、それは日本が戦争に負けたことだ。それによって結果朝鮮戦争が起こり国が分断された。そして韓国が「反共の砦」として戦後、日本の代わりに厳しい国際社会の荒波の中を生きることを強制されたのは事実である。

一方で、彼らが、日本人に悪意を向けるのは、彼等の体質的な面もあるだろう。戦後の支配者の歴史をみてもあきらかなように、権力者が変わると新しい権力者は旧権力をことごとく断罪する。歴代の韓国大統領はほぼすべて、暗殺、刑務所行、自殺、家族一族刑務所行である。ほぼ例外がない。

小泉さんが首相を辞めて安部さんになったら、安部さんが小泉さんを刑務所送りにするだろうか?韓国ではずっとそうなのだ。日本人には考えられないが。

だから、彼等にとっては日本は「旧権力」の象徴という意味で恰好の断罪材料である。そういう彼等の慣習的性質から日本を国家として断罪している面もかなり大きいだろう。

日本人と交流する韓国人・朝鮮人はこのような事実をしっかりと把握して、日本に対して好意的な人もいる。

しかし、人口比率からして圧倒的に少数派であることを日本人は認識する必要があるだろう。彼らが好意的であるからと言って、半島全体がそうなるなどと考えると判断を誤る。ただし、日本が圧倒的な強国になった場合には態度が変わるだろう。

もちろん個人交流と国家交流は次元が違う。ここでは個人交流の話はしない。

最後に話を戻す。

秀吉もまた、国際社会を見据えての朝鮮出兵であったという説に関しては今後さらに研究が進むことを望む。

それは同時に日本と朝鮮半島の関係史を考える上でも良い影響があるだろう。

(写真:一枚目 対馬那祖師神社、二枚目 同由緒、三枚目釜山鎮支城石垣、四枚目 同解説板)

日本と沖縄の文明的な関連性を考える上でのごく基本的な知識について

日本古代の天皇は基本的に第二子がなることになっていたようだが、第一子は何かというと祭祀を司った。

古代において、統治王たる天皇と祭祀王は別であり、ヒミコとは古代祭祀王(女王)の総称だという。

竹内氏の書によれば、男子が祭祀王になると国が乱れたという。俗に言う「倭国の大乱」とはこの時期のことをいう。

それ以前は女性が祭祀王となったが、一時男子がなり世が乱れたので再び女性がなると世の中は鎮まったという。

琉球神道は、聞得大君という祭祀の最高位を女性のノロ(神女)が担う。琉球王は男子である。

このように祭祀王と統治王が別々に存在し、古代においては女性が主に祭祀を司るという関係性は日本と琉球において類似している。

ある時期を境にして支那からの文化が多く流入した関係で、あたかも沖縄はどちらかというと支那文明に近いかのごとくに考える傾向があるが完全な間違いである。

おそらく、日向系種族は沖縄方面の南洋経路で鹿児島県の薩摩半島南端に到着した。

これは戦前から現代に至るまで多くの人が論じている。

オオワタツミ神は、九州から台湾までを影響圏に収めていたという。

今沖縄問題が激しいが、このような日本と沖縄との文明的に緊密なつながりを全く論じないで、いたずらな感情論を繰り出すのは危険であり、「敵の思うツボ」になると私は思う。

大和人も琉球人も少し冷静に考えなければならない。

沖縄の古代王族を天孫氏という。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E6%B0%8F

以下、「聞得大君」に関するwikiの説明抜粋

聞得大君は琉球王国最高位の権力者である国王のおなり神に位置づけられ、国王と王国全土を霊的に守護するものとされた。そのため、主に王族の女性が任命されている。琉球全土の祝女の頂点に立つ存在であり、命令権限を持った。ただし祝女の任命権は国王に一任されていた。また、琉球最高の御嶽である斎場御嶽を掌管し、首里城内にあった十御嶽の儀式を司った。

(動画 沖縄最高の霊地とされる斎場御嶽)

https://youtu.be/zkS_jmB0-NY

今日の国際社会の動きを見て感じたこと

トランプ政権が中国に対抗して貿易戦争をしかけており、両国の関係に緊張が走っているといった論調の一般メディアの報道がある。

中華人民共和国に対して否定的なのは、トランプ政権であり、彼がそれを仕掛けているのだという話は、事実でもあり不十分な情報でもあるのは、トランプ本人よりも、米国議会全体として、それ以上に対中強硬策に傾いているという現実を見る必要があるのだろう。

トランプは米国全体に漂う「風潮」に乗っかりつつ、またそれを以前から指摘する一人でもあったが、かつて、レーガン政権が、ベルリンの壁崩壊後、結果ソ連崩壊へと導かれたのと同じプロセスで中華人民共和国という国家に対する戦略を進めつつあるのは、ほぼ間違いないだろう。

これはもう、単なる貿易戦争の枠組みを超えつつあるということだ。

彼、というよりも彼等は本気でそこまで考えており、そのための「からくり」やら「やり取り」やら「駆け引き」を進めており、その流れの中での朝鮮半島問題を考えたとき、南北の戦争状態を終焉させることは、東西ドイツの分裂を終結させることと同義であり、それはすなはち、ソ連の崩壊と中華人民共和国の崩壊は同義ということになる。

ベルリンの壁崩壊が起こったのは、平成元年であった。

朝鮮半島情勢に決定的な変動が起こるのもまた、次の御代代わりにリンクするだろう。

半島の歪みが消え去り、中華人民共和国が崩壊したならば、統一半島国家がどのような方向性を向くかは、全く見えない面も多いが、中国が共産党政権の崩壊と同時に国家分裂を起こし、湾岸寄りの新国家が洗練された資本主義社会への構築に舵を切ったならば、半島はその新国家に従属するかもしれないし、米国が自ら半島情勢全体にコミットする意思を再び示すことになったとした場合には、新中国が資本主義的色彩を見せたとしても何等かの対立軸がそこに生まれるだろう。

どれほど、中国が洗練されたとしても、香港やシンガポールのような商業国家として栄えるのは湾岸地域の限られたエリアになるだろうし、それ以外の地域においては、いくつかの地域はかつてのソ連のウクライナやグルジアやベラルーシやバルト三国のように分裂離脱し、いわゆる「中原」は現在のロシア的な国家体制が非共産党体制下で継続してゆくであろう可能性が高い。

日本は相変わらず昼行燈のようにゆらゆら揺らめきながら、行方をただ見守るだろうが、今後10-20年後の日本の形というのは、新しい御代が定まり、ある種の「空気感」「雰囲気」の中からしだいに読み取りつつ明らかにしてゆくしかない。少なくとも現状ではその程度のことしか浮かばない。

戦後すっかり商人(あきんど)国家になった日本は、インバウンドで金を落としてくれる人々を歓迎するのは良いとしても、魂まで金儲けのために平気で売るようなことだけは避けたいものだが、国家の方向性というものもまた先行き長いスパンで考えると読めない部分もある。

いつまでも日本がただの商人国家であり続けるのか、あるいはもっと別の価値観を国際社会に現すことができるのか。それをよく見ていかなければならない。

世界の中における文明史的視点にたてば、日本がただ昼行燈であり続けるならば、それは世界における悲劇をもまた意味することになるだろうと私は確信している。

しかし、日本にそれが起こるとしてもそれはまだ少し先の話になるかもしれない。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181008-00000048-jij-n_ame

出雲大和の国譲りは明治維新にも大きく影響している

歴史は同じことを繰り返すが、どんな歴史にも核となる源泉が必ず存在する。その源泉から次第に雪だるまのようにその後の要素を付け加え、表面的には形を変えつつ次の歴史を形成していく。

古代史を見ていると、同じようなストーリーが出てきて、しかし名前が違う。ということがしばしばある。

伝わった地域が違うと、人の名前が変わることもあるだろう。だから、歴史家はしばしばそれを同じ話だとして片づける。

そういう側面もある。しかし、歴史は同じ事象を繰り返す、ということをしっかり認識する必要がある。

現在の鹿児島県に起こった日向系勢力が、現在の島根県にある出雲勢力と向き合うと、国譲りが起こるが、一部反乱軍は東方へ逃げる。今の諏訪である。

初めは敵対していた、日向、出雲の勢力はその後和合して、大和中心部へと軍を向ける。

連合軍は、大和勢力に国譲りを迫り、大物主は了承するも、長髄彦は反乱し、東方へ逃げる。今の東北地方へ落ち延びたという説がある。

日本の場合、大きな政変、政権の交代などが起きる場合、必ず西から起こって東を制する。そして旧勢力は東に逃げる。これが定石で古代から現代にいたるまでこれを繰り返している。

足利氏は、東から西なので、違うようであるが、尊氏は一旦敗退して九州へ落ち延び、兵を立て直して東へ向かうのでやはり定石に従っていると言えるだろう。

徳川は東から西向きの勝利で異色だが、権力の基盤を整えたのは、西の三河から東の江戸へ向かってのことであり、源氏が西から東の鎌倉に拠点を移したのと似ているだろう。奇しくも頼朝が生まれたのも家康と同じ愛知県である。頼朝もまた西軍の平氏を破ったが、その後仲間割れが起こり、義経は東へ向かった。

古代から現代に至るまで、権力の基盤は、室町時代を除き、しだいに西から東へと移動している。しかし、この法則が将来も続くかどうかは何ともわからない。

鹿児島にあった薩摩勢力が、敵対していた山口の長州勢力と和合して、江戸へと向かう。この図式は古代の日向、出雲勢力が神武東征した経緯と全く同じである。

明治維新は古代の日向、出雲、大和に起こった事象の繰り返しの現象であることは明らかである。明治維新においては、かつての神武天皇のように、明治天皇という存在を大きく浮かび上がらせることになった。ある種の復古だと言えるだろう。

このように見て行くと、古代日本に何が起こったのか。国譲りとはどのような背景を持ち、経緯を辿ったのかはおのずと想像することができる。

徳川慶喜が、大政奉還したというのは、国譲りそのものであって、出雲や大和で起こった国譲りの経緯と差異はないものと判断する。

古代大和の支配者の目線から見た時、西からやってくる勢力には何等かのシンパシーがあったに相違ない。同時に現政権の構造的欠陥も支配者の目線からみて明らかであったのかもしれない。

ただ、明確に言えることは、古代から現代にいたるまで、日本の国土に出現した支配者、特に大きな政変が起こる時、交代の役割を担う支配者が基本的に賢明であったことだ。自分の権力や利権にしがみつき、どんなことがあってもこれを手放さないという欲があったなら、「国譲り」は起こらない。

国譲りが起こらなければ国土の分裂が起こり、とてつもない怨念が残ることになるだろう。それは最終的に、朝鮮半島のような国家分裂を引き起こす元凶になる。

とはいえ、支配者がかくほど賢明であっても、それに従う忠誠心の篤い人々は、そんなもの分かりの良さに我慢できない。かつて、建御名方や長髄彦が東へと向かったように、会津、長岡らの旧幕臣達ら一部勢力もまた東へと向かう。東の果ての函館まで。

支配者にさほどの怨念は残らないが、下で忠誠を誓う者達の怨念はかなり長い時間尾を引く。どれほどそれが長いのか。それは、古代から現代まで繋がっている。

魂の源泉は同じだと私は思っている。理屈ではないのだ。だから同じことが繰り返し起こる。

しかし、そういう時、日本人はその解決法を持ってきた。

怨霊の御霊鎮めであり、その代表が出雲大社ということになる。

大きな変動が起こる時、多くの報われぬ魂が必ず出現する。

そういう時、我々日本人は、怨霊の御霊鎮めという、優れたシステムを思い出す必要があるだろう。このような考え方は世界の他の文明にほとんど見られなものだ。だから世界史の中で見ると日本は格段に人の心が荒れないのである。

このことを日本人は決して忘れてはならない。これは日本文明の智慧の結晶である。

(写真:出雲大社 大政奉還の図 wikiより)