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日本文明・神道の話
この国の歴史に震える瞬間
大江戸線の新御徒町を降りて地上に上がるとすぐ、古めかしいアーケード街がある。
「佐竹商店街は日本で二番目に古い商店街です」
という垂れ幕が下がっている。
商店街の終わりあたりにこの商店街の歴史を記した看板があった。
この地域一帯は江戸時代まで現在の秋田県の佐竹藩(久保田藩)の上屋敷があり、この商店街のある地域を含む広大なものであった。(現在の台東区台東三〜四丁目の半分ほどのエリアであったとある。)
明治になり御屋敷が取り壊され「佐竹っ原」と呼ばれていたところに次第にこの商店街が出来始めたようである。
最近、こう言った「歴史痕」を見るにつけ思うことがある。
日本の武士階級、特に大名家は幕府方、外様方に限らず、その資産規模はとても大きなものであったはずである。
しかし、それを明治維新という変わり目に際してほとんど文句も言わずあっさりと捨て去った。それはこの国がおかれた危機というものを上から下まで共有したことの証である。
ごく身近な外国においては、自分の権力を維持するために、国民だろうが国土だろうがズタズタに切り裂いても平気でいるような人間が指導者として君臨している。
世界史を見ればそれはかなり「普通の事」である。
翻って、自分の国のことについてあれこれ知るにつれ、あたかも「人ごとのように」この国の過去の事績に震えるほどの驚きを感じる瞬間がしばしばあるのである。
現代日本に至る道 ー 明治維新の原点に信長あり
現代日本に至る道筋を辿ると、織田信長が起点ではないかと思う。
信長以前と以降では国の形がかなり違うのではないか。
それ以前は権力の分散がかなり大きかったこと
権力基盤に宗教勢力が絡んでいたこと
兵農分離を進めたこと
信長は宗教を否定しなかったが政治や権力あるいは支配構造の中に入り込むことを嫌った。
一方で応仁の乱以降滞っていた伊勢神宮式年遷宮を復興させるなどした。
信長は天皇の上に自分を置いたと言われるが、この国の神々の中の一人くらいには思っていたかもしれない。
彼は中世の混沌とした権力構造に終止符を打ち、幕末維新以降、天皇を中心とした中央集権構造を生み出すに至る歴史の流れの起点にいる。
信長以降、秀吉家康によってキリスト教が禁じられることで、政治権力と宗教勢力は明確に二分される一方、結果的に天皇を日本をまとめる軸となるべく浮き立たせた。
その中継地点に水戸学があり、江戸時代の国学の興隆がある。
信長自身は、彼の死後の日本国の形がどうなるのか、それを意図してはいなかっただろう。
世界史において、古代文明の流れを軸とした文明は自壊するか他の勢力に殲滅されるなどして、近世以降地球上からほぼ姿を消していった。
唯一日本だけが古代文明からの流れを含む日本文明として残るだけでなく世界の大きな荒波を生き抜き、かつ成功を収めたのは奇跡という他ないが、その重要なファクターの一つに織田信長の存在を忘れることはできないだろう。
信長がこの国の形において、意図したものがあったとすれば、その完成形の第一段階として明治維新があったとも言えるのではないか。
(写真 建勲神社)
隠岐の話
今年は隠岐に行こうと思う。
ある書籍を読んでいたらこんなことが書かれてあった。
以下まとめ。
——
皇族は死ぬまでに必ず一回は隠岐に行くものだという。きまりではないが、そうなっているのだと。
隠岐は、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が流されたが、実は水が豊富で食物も潤沢であるから生活には困らない。島の人々も天皇を非常に大切に扱っており、その伝統は今でも非常に根強く残っている。
この島は今にいたるまで、人から遠ざけられ、「隠された」島であり続けている。神々の手配であろうか。(最近、ユネスコの世界ジオパークに指定されてそれが崩れつつあるのだが)
島では、町の寄り合いで基金をつのるが 、それとは別に神社をお守りするための基金を別途集める習慣が今でもある。
隠岐は地質学的に日本ではない。西日本は白山の火山帯に属しているが、隠岐は朝鮮半島の白頭山の火山帯に属しており、大陸の突端で、地震がほとんどない。岩盤も飛騨(飛騨片麻岩)に続く古さ(隠岐片麻岩)だという。地質学的には日本列島と成り立ちが違う。
隠岐の語源は、「御木」。アマテラスは三度ほど地上に降りているが、そのうちの一つが隠岐であり、その際、ある木を見て、これは立派な木だということで、御木と名付けた。これが八百杉(やおすぎ)と言われており、樹齢2000年である。
隠岐は島前、島後があるが、島後は昔から名前がない。ところがアイヌの伝承では、島後を古来より「オノコロ島」と呼んでいたという。イザナギ・イザナミが降り立った際、天御柱をオノコロ島に建てるが、それは隠岐だったのかもしれない。この御柱と御木は同意なのではないかと。(一般的には、オノコロ島は淡路に近い、瀬戸内の小さな島(沼島)ということになっているのだが)
籠神社の神職曰く、この神社の神様は、伊勢と隠岐を行ったり来たりしております。と言ったという。
隠岐には、水若酢神社という一宮があるが、それより格式が高い神社が、伊勢命神社。ローソク岩のある久見というところにある。地元では、伊勢命神社を内宮。水若酢神社を外宮と言っている。
また隠岐に国分寺があり、その裏に大満寺山というものがあるが、高野山では、ここを裏高野と呼んでいるという。
布施というところには、大山神社という神社があるが、ここの山祭りは、日本最古の山祭りと言われている。榊の大木を根っこから引き抜いて、集落中を引きずり回し、神社に上げて祭事を行うものだという。(著者は、アマテラスの岩戸隠れに関わるものではないかと)
(写真 http://blog.hangame.co.jp/tabibito_/article/36266839
https://blog.goo.ne.jp/familyplot1976/e/446c113eec8058c221e5bd7d42860cf9 )
日本文明の視点から「国家」に代わる新しい概念を示す
-「鎮守の森」を社会の最低単位として-
日本人として、先人からの意志や意思を受け継ぎ、次代の人間社会に対して新たなる価値観をいかにして付与できるかについて思索を重ねる。
幕末から明治~昭和二十年八月十五日までの日本は、それまで世界を席捲していた欧米中心の植民地帝国主義と白人優越主義と闘い、事実これを粉砕しえたのだと思う。粉砕とまではいかないとしても、確実にその突破口を切り開いた。
しかし、実はこの「孤軍奮闘」の闘いは、世界に味方は誰一人おらず、ただひとりの「黄色い人」の闘いは、昭和二十年八月十五日を持って、実質完了していた。
日本は敗戦したが、不思議なことにそれ以降、徐々にではあるが、西洋植民地帝国主義は終焉していくのである。幕末以降の日本人の闘いは、実は八月十五日をもってひとまず完結したと考えてよい。
驚くべきことに、先人は見事に仕事を終えていたのである。まさに超人技である。
そして、戦後の復興もひと段落した段階で、私たちは今、引き続き何をすべきか。
西洋人の代わりに新たな世界覇権を獲得するための闘いを始めるのであろうか。
否である。
そもそも現代社会は、それほどあからさまに欲望をむき出しにした行為が許されるほど単純ではなくなっている。もちろん、いまだにそういうことを志向する国家は存在しているが、過去のようにはいかないだろう。
これほど情報社会のネットワークが張り巡らされた世の中で、あからさまに分捕り合戦のようなことは難しい。米国はそういう社会を予見するかのように、「別の方法」で世界の覇権を手中に入れている。
彼らは「領土」ではなく、「経済」「情報」というツールで世界の覇権を手にした。しかし、その実態は、過去の西洋型帝国主義と大差のないものであろう。利用するツールが変わっただけのことだ。
戦後は、西洋型の経済・情報を軸とした支配構造が浸透する一方、人間社会全体の距離感が縮まり、一つの価値観と別の価値観が交錯混交する可能性が非常に高まった。
そして、それに伴う確執、争い、憎しみの度合いもまた深まっている。
西洋型一神教文明から起こるさまざまな価値意識は、自らの価値意識で世界を統一することこそが真の理想社会の実現につながると考えがちだ。
そもそも「信仰」にはそういう側面があるが、一神教の場合、全く妥協を許さないという側面がある。異教徒は悪であり、排除され、何をされてもかまわない。という本質的な道理が存在するからだ。
その文明にいる以上、宗教にからまない価値観の構築にもそれは影響するだろう。
一色染めの世界社会実現は実質不可能だ。無意識にであれ、それを行おうとすればするほどに、さらなる確執、争い、憎しみは増幅するだろう。
彼等の言う「平等」とは、違う価値観の人々(異教徒)からすれば、「強要」でしかなくなるからである。
近代社会は西洋人の知性によって成立したことには疑いがないが、それを完結する直前において、致命的な欠陥が露呈したというわけである。
人間の価値観は一元化できない。という決定的な壁である。
彼らはもうこれ以上、少なくとも「前向きな」社会実現を自らの価値観を通じては行うことができないだろう。
では、圏外にいる、一日本人として、現代の人間社会に貴重なる一石を投じるとするならば何ができるのか。これを考える必要がある。
今私が考えているのはこういうことである。
文明圏/文化圏をひとつの単位とした社会構造の構築。
日本は日本文明というひとつの文明圏を所持しているが、その中にはさらにさまざまな地域における独自の文化が存在している。大きな文明の枠組みとしては、日本は同一だが、細かく見ていくと、それぞれの地域において独自性がある。
その小さな独自性をも、ひとつの単位とする。
その集合体が日本という文明圏であり、その文明の価値観を保持継承し代表する存在としての天皇がいる。
もちろん、天皇には神々と人を繋ぐ「祭祀王」としての側面もある。
しかし、祭祀王という役割と、文明の保持者、継承者としての位置付けはほとんど同義であろう。
この社会構造を構築する上で重要な指標となるのが、「鎮守の森」のシステムになるだろう。
日本では「鎮守の森」が文化圏の最小単位として機能しているからである。
その集合体が地域文化の集合体となり、その集合体が日本という文明の一単位となる。
このシステムは、世界にも流用可能だと私は考えている。
文明を一単位として世界全体が機能する社会。
これが一神教文明による、もろもろの一元化の価値観に代わる、新しい文明の指標になるだろう。あるいはすべきであろう。
こうなると国家という政治的概念/枠組は、その下部に集約されていくだろう。
この新しい単位は、これまでの価値観を軸として存在し、機能する「国家」という概念を形骸化させ、新しい「文明圏」という単位がそれにとって変わることになる。
こうなれば、互いの立場は鮮明になるが、互いの立場を尊重する軸足もまた明確になる。
現代のような、感情的な諍いや争い、それに伴う憎しみも減少していくだろう。
人間の平等、社会の平等という概念ではなく、文明の並立、人間の並立、価値観の並立という方向に全ての価値観はシフトされ、それに応じた新しい社会基盤が構築される。法整備も同様であり、諸々の科学技術もしかりである。
その他の新しい価値観もこのような「多様性の並立」という発想の中から生まれ出るだろう。
この概念を使うことで現代的な意味での「グローバリズム」の拡散を封じ込めることができるはずである。
昭和天皇と戦後の高度成長
戦前戦後の昭和天皇に関する歴史を見ていけば、当時世界で最も知性の高い人物のおひとりであられたことが明らかになる。知れば知るほどに。日本人はもっと昭和天皇に関して学ぶべきである。
ある書籍を読んでいたら、先の日米戦争開戦の原因について、昭和天皇の手記(『昭和天皇独白録』)に次のようにあった。
「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認するところとならず、黄白の差別感は以前残存し加州移民拒否のごときは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島遠附を強いられたことまたしかりである。」
加州とは米国カリフォルニア州のことだが、1924年成立の排日移民法に先立つものがあったと思われる。満州移民は米国移民が制限されたための代替地とされたとする意見がある。
そもそもこの法案の本質的な遠因は、日本が日清日露で勝利し、国際社会での存在感が高まるにつれ、まず、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が唱えた「黄禍論」に起因している。要するに黄色い人間が白人社会の脅威となりつつあるという差別主義に基づく理論である。
さらにたどれば、幕末の不平等条約にいくんだけれども。
青島遠附とは、ドイツと青島租借を巡る争いで、最終的に日本の大陸進出を警戒した米国の思惑によって領地が変換された経緯を現す。この結果日英同盟も破棄されてしまう。
いずれにしても、黄色人種が白人と同じようなことを始めると、突然国際社会がブレーキをかけ始める。第一次世界大戦後の国際連盟において、日本は人種差別を撤廃すべく議論を提出した(国際社会における世界初の公的な提案であった)が、列国によって否決された。
こういったことが戦前の日本社会では周知されていた。
現代の日本人には想像もつかないことだが、真珠湾攻撃のあった日、日本国民の大半は、
「ついに、この時が来たんだ」
と感極まる状態であったことを忘れるべきではないだろう。何も「悪の日本軍部」にそそのかされて戦争を強要されたわけではないのだということを認識する必要がある。
第二次世界大戦の敗戦後の復興から高度成長期を迎える日本人の心の支えは、
「負けてたまるか。このままでは戦死した戦友たちに顔向けできない」
生き残ったものたちはそう考えた。だからあれだけの復興と成長が可能足り得た。もちろん朝鮮戦争勃発などの外部要因もあったけれども。
そういう「意志」を持つ世代が消えた途端に、この国が「失われた20年」に突入したのは偶然ではないだろう。
戦前までの日本人が何を思い、何を考えたのか。
そういうことの知識を日本人自身がもっと知らなければならない。
さもなくば、「戦後知識人」のようにどこかの国の「優越史観」の片棒を担いでいるだけのような人間に成り下がってしまうのである。
戦前の日本人の真意と繋がることがこの国の「真の復興」へと導くのではないか。
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