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日本文明・神道の話
隠岐の話
今年は隠岐に行こうと思う。
ある書籍を読んでいたらこんなことが書かれてあった。
以下まとめ。
——
皇族は死ぬまでに必ず一回は隠岐に行くものだという。きまりではないが、そうなっているのだと。
隠岐は、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が流されたが、実は水が豊富で食物も潤沢であるから生活には困らない。島の人々も天皇を非常に大切に扱っており、その伝統は今でも非常に根強く残っている。
この島は今にいたるまで、人から遠ざけられ、「隠された」島であり続けている。神々の手配であろうか。(最近、ユネスコの世界ジオパークに指定されてそれが崩れつつあるのだが)
島では、町の寄り合いで基金をつのるが 、それとは別に神社をお守りするための基金を別途集める習慣が今でもある。
隠岐は地質学的に日本ではない。西日本は白山の火山帯に属しているが、隠岐は朝鮮半島の白頭山の火山帯に属しており、大陸の突端で、地震がほとんどない。岩盤も飛騨(飛騨片麻岩)に続く古さ(隠岐片麻岩)だという。地質学的には日本列島と成り立ちが違う。
隠岐の語源は、「御木」。アマテラスは三度ほど地上に降りているが、そのうちの一つが隠岐であり、その際、ある木を見て、これは立派な木だということで、御木と名付けた。これが八百杉(やおすぎ)と言われており、樹齢2000年である。
隠岐は島前、島後があるが、島後は昔から名前がない。ところがアイヌの伝承では、島後を古来より「オノコロ島」と呼んでいたという。イザナギ・イザナミが降り立った際、天御柱をオノコロ島に建てるが、それは隠岐だったのかもしれない。この御柱と御木は同意なのではないかと。(一般的には、オノコロ島は淡路に近い、瀬戸内の小さな島(沼島)ということになっているのだが)
籠神社の神職曰く、この神社の神様は、伊勢と隠岐を行ったり来たりしております。と言ったという。
隠岐には、水若酢神社という一宮があるが、それより格式が高い神社が、伊勢命神社。ローソク岩のある久見というところにある。地元では、伊勢命神社を内宮。水若酢神社を外宮と言っている。
また隠岐に国分寺があり、その裏に大満寺山というものがあるが、高野山では、ここを裏高野と呼んでいるという。
布施というところには、大山神社という神社があるが、ここの山祭りは、日本最古の山祭りと言われている。榊の大木を根っこから引き抜いて、集落中を引きずり回し、神社に上げて祭事を行うものだという。(著者は、アマテラスの岩戸隠れに関わるものではないかと)
(写真 http://blog.hangame.co.jp/tabibito_/article/36266839
https://blog.goo.ne.jp/familyplot1976/e/446c113eec8058c221e5bd7d42860cf9 )
日本文明の視点から「国家」に代わる新しい概念を示す
-「鎮守の森」を社会の最低単位として-
日本人として、先人からの意志や意思を受け継ぎ、次代の人間社会に対して新たなる価値観をいかにして付与できるかについて思索を重ねる。
幕末から明治~昭和二十年八月十五日までの日本は、それまで世界を席捲していた欧米中心の植民地帝国主義と白人優越主義と闘い、事実これを粉砕しえたのだと思う。粉砕とまではいかないとしても、確実にその突破口を切り開いた。
しかし、実はこの「孤軍奮闘」の闘いは、世界に味方は誰一人おらず、ただひとりの「黄色い人」の闘いは、昭和二十年八月十五日を持って、実質完了していた。
日本は敗戦したが、不思議なことにそれ以降、徐々にではあるが、西洋植民地帝国主義は終焉していくのである。幕末以降の日本人の闘いは、実は八月十五日をもってひとまず完結したと考えてよい。
驚くべきことに、先人は見事に仕事を終えていたのである。まさに超人技である。
そして、戦後の復興もひと段落した段階で、私たちは今、引き続き何をすべきか。
西洋人の代わりに新たな世界覇権を獲得するための闘いを始めるのであろうか。
否である。
そもそも現代社会は、それほどあからさまに欲望をむき出しにした行為が許されるほど単純ではなくなっている。もちろん、いまだにそういうことを志向する国家は存在しているが、過去のようにはいかないだろう。
これほど情報社会のネットワークが張り巡らされた世の中で、あからさまに分捕り合戦のようなことは難しい。米国はそういう社会を予見するかのように、「別の方法」で世界の覇権を手中に入れている。
彼らは「領土」ではなく、「経済」「情報」というツールで世界の覇権を手にした。しかし、その実態は、過去の西洋型帝国主義と大差のないものであろう。利用するツールが変わっただけのことだ。
戦後は、西洋型の経済・情報を軸とした支配構造が浸透する一方、人間社会全体の距離感が縮まり、一つの価値観と別の価値観が交錯混交する可能性が非常に高まった。
そして、それに伴う確執、争い、憎しみの度合いもまた深まっている。
西洋型一神教文明から起こるさまざまな価値意識は、自らの価値意識で世界を統一することこそが真の理想社会の実現につながると考えがちだ。
そもそも「信仰」にはそういう側面があるが、一神教の場合、全く妥協を許さないという側面がある。異教徒は悪であり、排除され、何をされてもかまわない。という本質的な道理が存在するからだ。
その文明にいる以上、宗教にからまない価値観の構築にもそれは影響するだろう。
一色染めの世界社会実現は実質不可能だ。無意識にであれ、それを行おうとすればするほどに、さらなる確執、争い、憎しみは増幅するだろう。
彼等の言う「平等」とは、違う価値観の人々(異教徒)からすれば、「強要」でしかなくなるからである。
近代社会は西洋人の知性によって成立したことには疑いがないが、それを完結する直前において、致命的な欠陥が露呈したというわけである。
人間の価値観は一元化できない。という決定的な壁である。
彼らはもうこれ以上、少なくとも「前向きな」社会実現を自らの価値観を通じては行うことができないだろう。
では、圏外にいる、一日本人として、現代の人間社会に貴重なる一石を投じるとするならば何ができるのか。これを考える必要がある。
今私が考えているのはこういうことである。
文明圏/文化圏をひとつの単位とした社会構造の構築。
日本は日本文明というひとつの文明圏を所持しているが、その中にはさらにさまざまな地域における独自の文化が存在している。大きな文明の枠組みとしては、日本は同一だが、細かく見ていくと、それぞれの地域において独自性がある。
その小さな独自性をも、ひとつの単位とする。
その集合体が日本という文明圏であり、その文明の価値観を保持継承し代表する存在としての天皇がいる。
もちろん、天皇には神々と人を繋ぐ「祭祀王」としての側面もある。
しかし、祭祀王という役割と、文明の保持者、継承者としての位置付けはほとんど同義であろう。
この社会構造を構築する上で重要な指標となるのが、「鎮守の森」のシステムになるだろう。
日本では「鎮守の森」が文化圏の最小単位として機能しているからである。
その集合体が地域文化の集合体となり、その集合体が日本という文明の一単位となる。
このシステムは、世界にも流用可能だと私は考えている。
文明を一単位として世界全体が機能する社会。
これが一神教文明による、もろもろの一元化の価値観に代わる、新しい文明の指標になるだろう。あるいはすべきであろう。
こうなると国家という政治的概念/枠組は、その下部に集約されていくだろう。
この新しい単位は、これまでの価値観を軸として存在し、機能する「国家」という概念を形骸化させ、新しい「文明圏」という単位がそれにとって変わることになる。
こうなれば、互いの立場は鮮明になるが、互いの立場を尊重する軸足もまた明確になる。
現代のような、感情的な諍いや争い、それに伴う憎しみも減少していくだろう。
人間の平等、社会の平等という概念ではなく、文明の並立、人間の並立、価値観の並立という方向に全ての価値観はシフトされ、それに応じた新しい社会基盤が構築される。法整備も同様であり、諸々の科学技術もしかりである。
その他の新しい価値観もこのような「多様性の並立」という発想の中から生まれ出るだろう。
この概念を使うことで現代的な意味での「グローバリズム」の拡散を封じ込めることができるはずである。
昭和天皇と戦後の高度成長
戦前戦後の昭和天皇に関する歴史を見ていけば、当時世界で最も知性の高い人物のおひとりであられたことが明らかになる。知れば知るほどに。日本人はもっと昭和天皇に関して学ぶべきである。
ある書籍を読んでいたら、先の日米戦争開戦の原因について、昭和天皇の手記(『昭和天皇独白録』)に次のようにあった。
「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認するところとならず、黄白の差別感は以前残存し加州移民拒否のごときは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島遠附を強いられたことまたしかりである。」
加州とは米国カリフォルニア州のことだが、1924年成立の排日移民法に先立つものがあったと思われる。満州移民は米国移民が制限されたための代替地とされたとする意見がある。
そもそもこの法案の本質的な遠因は、日本が日清日露で勝利し、国際社会での存在感が高まるにつれ、まず、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が唱えた「黄禍論」に起因している。要するに黄色い人間が白人社会の脅威となりつつあるという差別主義に基づく理論である。
さらにたどれば、幕末の不平等条約にいくんだけれども。
青島遠附とは、ドイツと青島租借を巡る争いで、最終的に日本の大陸進出を警戒した米国の思惑によって領地が変換された経緯を現す。この結果日英同盟も破棄されてしまう。
いずれにしても、黄色人種が白人と同じようなことを始めると、突然国際社会がブレーキをかけ始める。第一次世界大戦後の国際連盟において、日本は人種差別を撤廃すべく議論を提出した(国際社会における世界初の公的な提案であった)が、列国によって否決された。
こういったことが戦前の日本社会では周知されていた。
現代の日本人には想像もつかないことだが、真珠湾攻撃のあった日、日本国民の大半は、
「ついに、この時が来たんだ」
と感極まる状態であったことを忘れるべきではないだろう。何も「悪の日本軍部」にそそのかされて戦争を強要されたわけではないのだということを認識する必要がある。
第二次世界大戦の敗戦後の復興から高度成長期を迎える日本人の心の支えは、
「負けてたまるか。このままでは戦死した戦友たちに顔向けできない」
生き残ったものたちはそう考えた。だからあれだけの復興と成長が可能足り得た。もちろん朝鮮戦争勃発などの外部要因もあったけれども。
そういう「意志」を持つ世代が消えた途端に、この国が「失われた20年」に突入したのは偶然ではないだろう。
戦前までの日本人が何を思い、何を考えたのか。
そういうことの知識を日本人自身がもっと知らなければならない。
さもなくば、「戦後知識人」のようにどこかの国の「優越史観」の片棒を担いでいるだけのような人間に成り下がってしまうのである。
戦前の日本人の真意と繋がることがこの国の「真の復興」へと導くのではないか。
日本-型の文化と欧化・支那化の歴史
日本は型の文化であると言われることがある。この論考を誰が唱えたのかの記憶がないが、これを日本的な文化形態の重要なものとして取り上げることがあるのは事実である。
「型」とはパッケージすることだともいえる。
私は幕末維新・明治期における欧化の歴史を見るに、日本の「型」の文化とは、日本固有の在り方を示す文明的な形態を示すのではなく、外から何かを取り入れる際に、それを「パッケージ」化して自らの文化的基盤の上に流し込む所作のことではないかと思った。
「型」自体に何か日本的なものが含まれているわけではない。
日本的なものは本来別のところにあるが、それを温存、保護、または発展進化させるために「型」によって新しい何かを自分の世界に取り込む。
日本の歴史に大きな「型」による新たなるものの採用・流入の実施が少なくとも二回ほど起こっている。
大化の改新における中華文明の大規模な採用は、支那の律令制度、官僚制度を大々的に取り入れて国家を強化することを行った。
また、全く同じように明治維新以降においては、西洋文明を大々的に取り入れ、主に産業技術、医術、法律などを大規模に採用して、国家としての強靭化を行った。
この二つのいすれもが、外圧による国家的な危機に起因している。
大化の改新時においては、天智天皇の時、白村江の戦いで大敗を喫して、朝鮮半島における拠点を失い、半島が新羅により統一された後、唐・新羅軍が日本に侵攻する危険性が非常に高まった。
明治維新期においては、西洋列強がアジア全域に進出し、植民地帝国主義の下アジア地域を自領化する中、日本にもその危機が迫ったことによる。
米国は日本の門戸を力づくで開放させた上不平等条約を結ぶ。ロシアも直接あるいは、朝鮮半島を自領化する意図をあらわにし、英国、仏国、独国も同様にアジアへ進出してきたからである。
日本史において、「新」という字がつくのは、大化の改新と明治維新以外にあっただろうか。
「型」は日本を活かすための方法論のひとつであり、それ自体を日本的とは言えないように思った。
しかし、いまだかつて日本人自身が、これこそ日本文明であると明確に定義しえたことが極めて少ないことが、「欧化」が進み過ぎた現代社会にあって最も危惧すべき点である。
このままでは、「型」だけが残り、本質を喪失した状況になりかねない。いやもうかなりなっているという気がするのである。
(写真:陸羯南)
祭儀と祈り
意識世界・霊的世界での活動がまず先行し、その後それが物質界に反映される。
これに先行して(というか同時並行的に)、意識・霊的世界で起こったこと、あるいは活動情報を取得する行為が「予知」「発明」「創作・創造」活動となる。(詳細は一つ前の記事)
このプロセスに対して、その逆のプロセスが祭儀と祈りの意味となる。
人が祈りを捧げることで、「願い」を物質化する。神々に思いを伝えることで神々にそれらの思いを意識化していただく。
神々が人の願いを意識化すること=物質化へつながる、というプロセスになる。
もちろん「願い」が物資的なものばかりではないし、それらの「願い」を神々が聞きとどめるかどうかは分からない。
いずれにしても我々人間社会に自らの願いを反映させたいという思いを意識・霊的世界、すなはち神々にお伝えするという行為が祭儀であり、祈りである。
「祝詞奏上」とはまさにそのことである。
神道の祭儀の手順はおおまかにみると、
潔斎(禊)を行い→神々をお迎えし→供物を捧げ→祝詞を奏上し→歌舞音曲を奏上し→供物を撤収し→神々にお帰りいただき→直会(参加者に供物を共有いただく=参加者と神々との共有する時間=おすそわけ)
ということになる。
密教での行法、例えば、金剛界法や胎蔵界法などの修法もほぼこれと同じプロセスである。
ただし、密教の場合は、結界をめぐらすということがあり、神道で言う祝詞奏上の前に、仏神との一体化、すなはち、「入我我入」を行い、修法者と仏神を一体化させる儀式を行う。(神道でも同じプロセスが加わることもある)
人から神々へというベクトルにおける唯一の働きかけ。これが祭儀の意味であり、祈りの意味となる。
グルジェフ
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歴史の話
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