SNSは民主主義と米国を劣化させた、という。

しかし、SNSこそ民主主義の極限の姿ではないのか。

インターネットがこの世に出現するまで、個人の主張も意見も公に出ることは全く(あるいはほぼ)ありえなかった。

権力が全てを統御し、「適正」な報道を流す。そして人々はそれに従う。黙ってしたがっていればそれで良かったのだ。時折不平不満を述べ立てて溜飲を下げさせる。ガス抜きは必要である。

民衆は何か疑問に思ったとしても、それは、社会のために我慢すべきことなんだろうと、心にとどめた。発言する手段とてない。

一方で、こういう記事を書いている人間こそが、民主主義の尊さを最も重視した人々のはずではないだろうか。極めてリベラルな。

そういう人たちが、民主主義の究極の姿を目の当たりにして、それは「劣化」だと言い始める。

私に言わせれば、

「これこそが、あなたの理想とした民主主義の到達点なんですよ」

と言いたくなる。「民主」なんだから。

結局この書き手は、「民」を蔑(さげす)んでいる。、、、と思われる。

民主主義を理想とする人にとってこの流れを否定することはできないはずである。

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