北朝鮮というと、中国ばかりがクローズアップされているが、北朝鮮はロシアとも国境を接している。北朝鮮とロシアの国境線は、ロシア極東の軍事拠点である、ウラジオストクから、100kmほどしか離れていない。
非常に目立たないほど、細い、ウナギの寝床のような、北朝鮮国境まで続くロシア領、沿海州と呼ばれる。この地域一帯は、ロシア帝国時代に清国から北京条約で割譲された地域である。
1918年に日本軍が占領し、日本政府寄りの国家が建設されるが、ソ連に併合された。
ウラジオストクはソ連時代は、閉鎖都市としてソ連国民すら入ることが困難な軍事的な要衝。
明治期に、朝鮮王族が、清になびき、ロシアになびき、日本になびいた。地理的に強大な国家に挟まれた半島。
今、ロシアは大人しくしているが、半島が動乱すれば、必ずロシアも出てくるだろう。
明治期と同じである。それはこの地図を見れば一目瞭然であって、ロシアとしては、この地域が不安定化すれば、北朝鮮の東側の海沿いを抑えたいという衝動を抑えることができない。
しかし、ロシア人からすれば、日本列島は「邪魔」だろうね。なかなか太平洋に出られない。ウラジオは不凍港として、彼等の最南端に位置する。
ウラジオから北朝鮮国境までの沿岸部というのはどうなっているのだろう。興味深い。
東京からウラジオまでは、東京からソウルまでより近い距離だそうだが、我々にとっては、とても「遠い」地域でもある。しかし、あまりにも知識が不足しているように思えるので書き留めることにした。
下記はwikiからの沿海州の歴史
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沿海地方は歴史的にはツングース系などの北方諸民族が活動してきた地域で、渤海や金などの統治下に置かれた。またツングース系の満州人が建国した清の故地・満州の一部で、中国人などの入植は規制されていた。この地方は多くの毛皮が採れるほか、この地を通じた山丹貿易で樺太のアイヌのもたらす毛皮も多く、清にとっては毛皮の産地として重要であった。西洋人には満州民族の居住地、満州の一部(外満州)として知られる。19世紀には清の入植規制が緩み、李氏朝鮮の圧政を逃れてきた朝鮮民族も定住した。
1860年に北京条約において清にアロー戦争仲介の代償だとして割譲を要求したロシア帝国の領有となり、ロシアはこの地にサハリン島(現在のサハリン州)を加えた行政区として沿海州(プリモルスキー州)を置いた。沿海州の南部である現在の沿海地方には軍港ウラジオストクが建設され、ロシアの太平洋への出口となった。またシベリア鉄道の終点でもあり、ロシアにとってアジアへの進出拠点というその存在意義は大きいものとなっていった。逆にその後の中国にとって日本海への出口を失ったことになる。ロシアはここからさらに満州全体、朝鮮へと勢力を伸ばし、全満州を勢力圏に置いたが、日本と衝突して日露戦争となった。
ロシア革命に対抗する日本のシベリア出兵の際には、日本軍が全域を占領し、1918年9月アレクサンドル・コルチャークら白軍を主体とした臨時全ロシア政府(Provisional All-Russian Government。沿海州共和国としても知られる)を建国したが、連合国の介入は失敗に終わり、赤軍によって極東共和国はソビエト連邦(ソ連)に併合された。なお、日本はグリゴリー・セミョーノフと繋がりがあったとされる。なお、ウラジオストクで新聞を発行していたアナトリー・グートマン(アー・ヤー・グットマン。ru:Гутман, Анатолий Яковлевич)は、1920年から日本で露字新聞「デイロ、ロシー」(Дело России)の邦文翻訳号を出版して、この時の状況を日本に伝えている。
1938年、ソ連は沿海州を分割し、現在の沿海地方とその西に位置するハバロフスク地方が初めて設置された。
第二次世界大戦が勃発すると、当時朝鮮民族は日本国民だったため、この地に住む朝鮮民族(「高麗人」と呼ばれる)はソ連書記長ヨシフ・スターリンによって、中央アジアに強制移住させられた。
冷戦が始まると太平洋艦隊の置かれる軍港ウラジオストクは民間人統制区域(閉鎖都市)となり、外国人の立ち入りは原則禁止となった。

